2010年2月 9日 (火)

丸4年・・・感謝!感謝!

Dsc_0176 2006年2月9日、ブログを始めて、今日で丸4年を迎え、明日からは5年目に突入だ。始めたのは関西どっとこむである。そのプロバイダーが2008年9月閉鎖するときにはアクセスが10万カウントを超えていた。2008年7月からeonetブログに変更し、今日で66400カウントのアクセスがあった。体調の悪いときなど休みも多かったが1125件の記事となった。その間PeeVee eoなどにも動画を投稿していたが、そこも閉鎖され、現在はYouチューブ(2009年8月3日アップ開始。アクセス回数27024回)やPeeVee(2009年7月17日アップ開始。アクセス回数22200回)などに引き継いでいて、アップした動画は170余件となった。その間、ご訪問いただいた方々には、心から感謝したいと思います。これからも体調の許す限り、あまり頑張らず、自然体でいこうと思いますのでよろしくお願いします。

2010年2月 8日 (月)

作品の一部

Blogp1030173 毎日寒い日が続いていて、外出するのが億劫になる日が続いている。妻は趣味の手芸に一生懸命専念している。今日はその作品の一部を紹介する。

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2010年2月 7日 (日)

篠山城下町の下見

P1030182blog 今年一番、気温が下がった昨日、篠山城下町へ下見に行った。今年の同窓会は篠山で実施する予定で計画を進めていて、もう一人の幹事と一緒に出かける。篠山口で電車を降りるとさすがに寒くヒヤーッと、さむけが体を襲う。バスに乗り継いで篠山城下町へ向かう。二階町で下車し、観光協会に行き、このあたりの見所について尋ねる。そしてボランティアガイドさんをお願いした。その後、篠山城跡、国重要伝統文化敵建物保存地区の河原町妻入商家群を散策し、大正ロマン館で昼食をとり、帰宅する。

2010年2月 4日 (木)

朝青龍が引退表明 場所中の暴行騒ぎで

 横綱朝青龍が引退する。以前、内舘前委員が言っていたように、アスリートとしての朝青龍は非常に魅力があったし、評価したいとおもう。しかし土俵上の作法や、勝負がついた一番でもだめ押しがあったり、観戦していて大変不愉快に思っていた。場所中に酒を飲むのもいいだろう。ストレス発散のためだろうと思う。しかしスポーツマンが、土俵以外で一般人に暴力を振るうのは許せない行為だ。まして示談したから、なかったことにしようなんて考えは考え方が甘いと思う。強ければ何をしてもいいと思うのはもってのほかだ。それ以上におかしいと思うのは高砂親方の態度だ。弟子が悩んでいるのに、豆まきに出たりしてノー天気だと思う。もっと早くから弟子を導くのが親方のつとめだろう。家庭崩壊、学級崩壊などが言われている昨今、相撲部屋でも親方の躾がなされていないように感じた。親方の責任はどのようにとるのだろうか?相撲協会の指導のなさに対してどのように責任をとるのだろうか?不思議に思う今日この頃だ。

2010年2月 3日 (水)

すっとんカニ

Dsc_6361blog 「明日、カニ送るから家にいてね。」山陰地方の友人から電話がかかってくる。いつも送ってくれる友達からだった。翌る日の朝早く、宅急便が届く。早速ふたを開けると中に松葉ガニが2杯入っていて、足がごそごそと動いている。まだ生きていたのだ。中に生、若松葉ガニの食べ方というパンフレットが入っていた。カニすき、刺身、ゆでがに、焼きがになどの調理方法がかかれていた。その説明書には、脱皮して間のない若いカニのため身の入りはしっかりしていませんが、身には甘みがあり、すっとんカニとも呼ばれていますと書かれていた。すっとんカニは身がすっとんととりやすいためにつけられた名前だそうだ。早速ゆでガニにしていただいたが、甘くて本当においしく、身は説明書に書かれていたようにしっかりしていないどころか、しっかりと詰まっていた。妻と、ものもいわずに黙々といただきました。カニ味噌は雑炊にして平らげた。幸せな一日でした。送ってくれたお友達、本当にありがとう。来年もよろしくね。・・・・あつかましいかsign02
 若松葉カニを食べた翌日、読売新聞には「脱皮直後の伊勢エビの商品化に成功し、今秋「岬夢想海老(はなむそうえび)」として愛媛県三崎漁協から売り出す。この海老は頭からすべて食べられる上に甘みも強い。」という記事が載っていた。漁協では「一皮むけた伊勢エビを、家庭でも楽しんで・・・」とPRしているそうだ。
 脱皮直後のカニや海老など、美味しくないとの先入観があったが、間違いだったことを思い知らされた一日だった。

2010年1月30日 (土)

宮水学園 最終講座

P1030155_blog 今年度最後の講座は「最近の政治情勢について」神戸新聞社 論説委員長 増野俊則先生の講演があった。講演の概要は次のとおり。
 <政治の風景は変わった。>
◎鳩山政権の5ヶ月/支持率が物語るもの/政権を揺るがす3つのK
 政治と金の問題で国民の支持ル津も72%から47%へ低下。ちなみに安部内閣では4ヶ月 で低下、福田内閣は2ヶ月で低下、麻生内閣は1ヶ月で低下、小泉内閣では1年後に支持、不支持率が逆転した。
 1、献金問題。2、基地問題。3、景気経済問題。(2番底がくるのではないか。)

◎自民党の再生なるか/夏の政治決戦/軽くなった政治家の発言
 自民党の再生なるか・・・世襲問題・・世襲で活気が失われていく。派閥の衰退がある。
 夏の政治決戦・・・7月17日に参議院選があるといわれている。
 軽くなった政治家の発言「戦ってください」「人生いろいろ、仕事もいろいろ」など。過去の政治家の名言を例にいかに今の政治家の言葉に重みがなくなったかを説明。

<私たちを取り巻く課題と政治>
◎虫の目と鳥の目/あのときが節目だった/戦後日本の歩みと暮らし
  年金、医療、景気など、個別の問題の出発点を高所から眺めてみる。
  あのときこうすれば・・・反省を込めて振り返ると、20年ぐらい前(1989年~91年)に転換点があったと思われる。
  戦後日本の歩みと暮らしでは、S29年ころは3種の神器(掃除機・洗濯機・冷蔵庫)S35年は所得倍増計画、S41年の新3種の神器(カー、クーラー、カラーテレビ)と経済成長を遂げた。その中で個人所得も伸びていった。

◎バブル崩壊の衝撃/変革を迫られた国や企業/身近で始まった大きな変化
  89年~91年バブルの崩壊など変化の兆しが見える。
  変革を迫られた国や企業ではリストラが始まる。国債発行が増加し国の借金が増える。(973兆円・国民1人あたり763万円)
 身近で始まった大きな変化としては92年少子化がはじまり、高齢化が進む。兵庫県でも2005年から人工が減少し始めた。2005年の兵庫県人工は559万人であるが、このまま推移すると、50年後には397万人に減少する。阪神間でも同じ現象を生じている。従って予算編成にも景気対策や少子化対策などに移行せざるを得なくなる。雇用形態も正規雇用から非正規雇用へと大きく変化する。

◎冷戦直後の世界/グローバル化と中国/地球規模のテーマも
 1989年ベルリンの壁が崩れソ連が解体し東西冷戦が終わる。冷戦はなくなったがテロ事件が発生し、従来の戦争の様相が変化してきた。
 一方グローバル化が始まり、アメリカンスタンダードが定着してくる。一方1979年頃から中国が台頭してくる。1989年の天安門事件があり、1991年から南巡講話政策がとられた。
 1991年、Windows3.1が開発されノートパソコンが普及した。そして地球温暖化がいわれるようになり、人類全体の課題として問題提起され、今につながっている。

◎国の形を変える/自民党型政治と小泉改革/「失われた20年」
 政治は建設国債の発行が増加した。1994年に選挙制度が小選挙区制に変化する。政党助成法が制定される。
 行政では、2001年、省庁再編が行われる。司法では裁判員制度が始まる。
 1995年に戦後50年を迎え立法、行政、司法も変化したが不十分であった。従来型の手法では問題の解決ができなくなった。それを小泉閣で改革しようとしたがセフティーネットが不足していて、国民の間に閉塞感が広まる。そこで国民は政治への大きな変革を求める風潮が生まれ、政権交代となる。

◎政権交代と民主党が担うもの/未来への兆し/」今からの20年」?
 政務官の活用は1990年代から行われていたが実質的には機能していなかった。政権交代で民主党は政務官の活用、事業仕分け、などを導入し変革しようとしている。また「コンクリートから人へ」は時代の要請であるが、これからうまくいくかどうかこれからの課題である。
 長い目で将来を見通すのは難しいが必要なことである。
 未来への兆しとしてグリーニュディル・太陽電池など日本の成長戦略に未来への希望の兆しが見えると考える。

P1030161_blog お別れ会は、例年だと料理を食べながら行われていたのだが、参加する人も減ってきて何とかならないかと運営委員さんたちが知恵を絞り、今年は全員参加型ということでホールの舞台と客席で行われた。

2010年1月29日 (金)

久しぶりのウオーク

P1030170_blog 久しぶりに河川敷をウオーキングする。気温は10℃くらいだったが大勢の学童や親が大勢きていて、先生と思われる人が、なにやら説明している。そばにいた親御さんに聞くと、近くの小学校の学童で、今日はマラソン大会を行うのでここに来ていると説明してくれた。3年生の生徒120名ぐらいで1.5kmを男女に分けて走るらしい。説明が終わって「よーいドン!」のかけ声にあわせて一斉に走り出す。先頭を走っている子は一生懸命に走っている。やがて列が伸びていく。最後尾を走っている子は、ほとんど歩いている。先生が伴奏していて「がんばれ!がんばれ!」と声をかけるが、なかなか走らない。やがて先生が大きな声で「走らんかい」と叫ぶと、いやいやながら一人が走り出す。一人が走り出すと、続いて、その後ろの子も走り出す。先頭との差は500mぐらいになったが、それでも全員が走り終えた。その後女子の競技になったが、皆一生懸命に走っていた。先生も大変だなあと思った次第である。自分も寒いのでウオーキングを長らくご無沙汰していたが、この日はやる気が出てきた一日だった。