熊野古道 大辺路 大門坂から浜の宮王子へ
大門坂駐車場から浜の宮へ向かう。最初に、二の瀬橋を渡り、お杉社には15時50分に到着した。この社は天照大神と御子の忍穂耳尊(おしほみのみこと)と葺不合尊(ふきあえずのみこと)の三神が祭られていた。神話では天照大神から瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の神器を賜った話で知られる神々だ。九十九王子の一つで旧暦の9月7日にお杉屋を建て、御旅所として祀っていた。境内には天照大神がお姿を表されたという影向石もある。
おすぎ社の近くの市野々小学校の前を通って市野々王子に5、6分で着いた。天仁2年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、12月、浜の宮王子の後、那智鳥居政所を経てこの「一野王子社」に奉幣しているそうだ。明治時代に那智山の支配から離れ、王子神社となったそうだ。このあたりには米を貯蔵したといわれる御蔵の米倉などもあった。
10分くらい行くと、荷坂の五地蔵が祀られている。この地蔵は平宗清が石屋の弥陀六と名を変えて、一ノ谷の合戦でなくなった平敦盛を供養するために作ったと伝えられている。五地蔵を後にふだらく霊園の方に急な坂道を上っていく。途中には、樹齢800年の柿の古木があった。余り大きくはなかった。
そこを通り過ぎて石畳の急な登りの古道を行くと、やがて荷坂峠に到着。荷坂峠には尼将軍(頼朝の正室北条政子)供養塔があった。夫の源頼朝を失い、二男二女すべてを失った北条政子は、出家して尼さんになり、尼将軍といわれ、家族の菩提をとむらうために、建保6年(1218)に建立されたといわれている。尼将軍は高野山や熊野に何度かお参りした。曼荼羅の道の供養塔は、腰から上の病に霊験あらたかと、地元では伝えられている。
峠を過ぎると竹藪や杉林の中の下り道を降りていく。周囲には花生姜、ミツバチの巣などもあった。やがて長谷川にかかる小さな橋を渡ると、曼荼羅の道という道標があった。そこから少し広い道となり「那智天然温泉」の看板なども出ている道を那智川に沿ってしばらく歩くと、道標地蔵がある。
その地蔵から6分ぐらい行くと補陀洛山寺につく。ここは世界遺産にも登録され、南方に補陀洛浄土を目指し、渡海する上人達の出発点となっている。
補陀洛渡海とは、生きながらにして小さい舟に閉じ篭もり、観音浄土を目指すというものである。舟の中を覗いてみると人が1人やっと寝ることができる程度の広さだ。境内には渡海船や曼荼羅なども展示してあった。
その近くに浜の宮王子がある。熊野三所大神社、猪宮王子、錦浦王子とも呼ばれていた。中辺路、大辺路、伊勢路の分疑点となっており那智山参拝前の潮垢離を行って、身を清めていたそうだ。
ここにも樹齢800年の大楠の木があった。到着時刻は17時30分で、歩いた距離は8kmだった。ストレッチを済ませ、JR那智駅に行き、バスで勝浦の宿に向かう。

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