09日帰り旅行など

2009年11月12日 (木)

閑谷学校

04 先月の中山道ウオーキング、ギリシャ旅行、今月初めの中山道ウオーキング、お葬式の参列と忙しい日が続いていた。久しぶりの休日が取れ、妻が閑谷学校の赤と黄色に紅葉した楷の木を見ようと計画。孫達もTDLへ行っているのでこの日は来ないから出かけようという。JRから「秋の関西1デイパス」が発売されていてこれを利用する。この切符、北は敦賀、南は和歌山、東は米原・柘植、西は上郡までが2900円で1日間乗り放題である。三宮でこの切符を購入し上郡まで行き、追加分を支払って吉永駅で下車する。そこから閑谷学校まではやく4kmである。私は歩くのが好きなので歩こうと言うが、妻は「少し登り坂が続くので歩くのがいやだ」という。やむを得ず、タクシーを利用して入口付近の駐車場まで行く。楷の木を一目見ようと大勢の観光客が押し寄せていた。観光バスもたくさん来ていた。
Dsc_6051 早速入場券を購入。シニヤ割引だと300円が120円になる。テープレコーダの貸し出し(無料)もあり、非常に親切だった。私は無料のボランティアガイドさんをお願いした。案内をしてくれたのは近くの閑谷高校の女子学生さんだった。閑谷学校は寛文10年(1670)備前藩主池田光政が創設した庶民教育の殿堂である。講堂は元禄14年(1701年)備前藩主池田綱政(光政の子)が完成したもので、備前焼の瓦が美しい。
Dsc_6059 最初に楷の木の間を通って聖廟に案内される。練塀の中に孔子像を祀る大成殿の他、中庭、文庫、厨屋などの建物と繋性石がある。孔子像は開帳されておらず、見ることができなかった。聖廟の前には中国の孔子林の種を育てた一対の楷の木が有り左側の木は赤色に染まり、右側の木は黄色に染まっていて美しかった。右側の建物の中に孔子像があるそうだ。

Dsc_6067 その後、国宝の講堂に案内される。入母屋造り、錣葺きの大屋根をのせている。一旦こけら葺きの屋根を作ったうえに垂木ごとに漆をかけ一枚板をはり、その上に備前焼瓦を乗せる手の込んだ造りで、軒先の陶管などを含め雨水に万全の対策をとっている。
Dsc_6080 火灯窓(花頭窓・国宝)からの灯りを反射して外の紅葉が映えて赤く染まって見える。床も漆が塗られているそうだ。現在も高校の授業の時には靴下を2枚重ねではいて授業を受けるとの説明があった。講堂では四書五経などの講義が行われていた。正面の壁に「定」(国宝)と「朱文公学規」が掲げられていた。その他に「克明徳」の額もあった。
Dsc_6096 講堂のとなりには、小斎と言われる小さくて質素な建物がある。この建物は、藩主が臨学の際のおなりの間である。屋根も瓦葺きでなく部屋の大きさも6畳敷か8畳敷ぐらいに見えた。習芸斎、飲室などで説明を聞いた。
Dsc_6120 石塀は頂上が丸く加工されている長さは765mに及び、「切り込み継ぎ」と呼ばれる精巧な物で他に例が無く独特の景観を演出している。城の城郭と間違われないようにあえて丸くしたらしい。その他にも文庫などがあり、火災時の類焼を防止するため火除山という樹木の茂らない丘がある。人工で築かれたもので、西にある学舎や学寮などに類焼しない配慮がされている。(写真の左側は石塀、右は火除山)これらを説明を聞きながら見学した。話を聞くほどに当時の様子を思い浮かべ興味が湧いてきた。この学生さんによると1年生と2年生の時に、この講堂で論語の勉強を今でもしていると話してくれた。今から339年前と同じ光景が今でも行われていることに感動した。学生さん有り難うございました。
Dsc_6210 見学を終え、資料館に向かう。資料館には当時の写真や書物、肖像がなどが展示されていて一層理解を深めることができた。庭の木々も緑、黄色、赤と紅葉しており、空の青とのコントラストが美しく満足して帰宅のとにつく。駐車場でタクシーを呼んだが、国道は大渋滞で到着までに時間がかかるというので、妻と約4kmの下り道をウオーキングして吉永駅に向かった。里山の景色と紅葉した山々は美しく、妻も、きれいsign01きれいsign03の連発でさぞ満足したことだろう。happy01

2009年10月18日 (日)

発電所見学と若狭箸作り体験

P10107672 OB会の人達112名が3台のバスに分乗して、大飯原子力発電所見学に行く。集合場所に行くと懐かしい方々と会うことができた。YAさんも「もう88才になった」と言って近況を話してくださった。定年後、趣味に仏像を彫るようになって寺院等に飾っていただいているそうだ。「お土産に仏像を彫刻した残り木で作った物だが貰ってくれる。」と言って小さな仏像と、キーホルダを差し出したので遠慮なくいただいた。キーホルダーの裏には「念ずれば 花ひらく」とほられていた。懐かしい先輩達や、同僚達、後輩達といろいろな話をして旧交を温めた。
01_1 神戸を9時に出発。「エル・パークおおい」(PR館)に着いたのは11時20分。そこで見学先のバスに乗換て、発電所内を見学する。現在、PR館は見学できるが、構内およびシースルーの館内見学は国際テロ情勢をふまえた警備上の理由により見学ができない。セキュリティチェックも厳しかった。そのため外周からの見学となり、その後、「エル・パークおおい」で原子力発電の仕組みなどの話を聞く。見学後小浜にあるホテル「せくに屋」にて昼食を取る。昔の仲間達ビールや酒を酌み交わしながら昔話に花が咲き次の目的地である若狭塗箸の専門店「せいわ」にむかう。
P10107592 店先に着くと、「黒塗りの箸」と「ほほえみ人形(箸置き)」が渡される。店内にはいると女将さんが若狭塗箸のうんちくを語り、商品の説明を始めた。その説明が大変おもしろかったのでつい引き込まれてしまった。箸の作り方を説明し、「先ほどお渡しした黒塗りの箸は7層の異なる色の漆が塗ってあるのでそれを各人が砥石で研いで世界に1膳しかない箸を作ってください。」と言って研ぎ方を教えてくれた。箸作りの最終段階の仕上げを体験するコーナーだった。砥石をかけていくと、中の色が出てきて箸らしくなってくる。その模様は、各人が思いおもいに研ぐので同じ物はできないのであった。初めての体験であり、楽しく作品を作ることができた。その後若狭かれいの干物を土産に買って帰宅する。楽しく有意義な1日だった。

2009年6月30日 (火)

西長門の旅 萩&津和野散策フォトストーリー

 山口県の萩城下町と島根県の津和野を散策したときの写真をフォトストーリーにしたのでアップする。
 
詳しくは、西長門の旅 萩城下町散策をどうぞ
 詳しくは、西長門の旅 津和野散策をどうぞ

2009年6月29日 (月)

西長門の旅 青梅島から角島のフォトストーリー

 山口県の青梅島から角島へ行ったときの写真をフォトストーリーにしたのでアップする。
 
詳しくは、「西長門の旅 青海島へ」をどうぞ
 詳しくは、「西長門の旅 仙崎、角島へ」をどうぞ

2009年6月26日 (金)

西長門の旅 津和野散策

P1140675 萩を観光後、津和野に向かう。 山陰の小京都といわれる津和野町は中国山脈の末端、島根県の西南に位置し、古くから地方政経文化の中心として栄えた。町を縦貫する錦川の清流をはさんで東に青野山、西に城山がそびえ中心部は城下町として人家がひしめき景勝地であると共に陰陽を結ぶ中心地となっている。津和野の由来は昔はツワブキが生い茂っていたところから「つわ蕗の野」・・・・といわれ「津和野」になったと伝えられている。津和野では「沙羅の木」の駐車場に車を止めて、そこから殿町界隈を少し店の人が案内する。私は1人でゆっくりと見物したいと思い集合時間を聞いたのち、団体から離れて見物することにした。駐車場をでて右折すると一つ目の角を右(南の方角)へ曲がる。するとPR写真などによく利用されている鯉の掘り割りのある殿町通りへ出る。
P1140672P1140672_2  すぐの所にカトリック教会がある。建物はいかにも西洋風ゴチック建築だ。このあたりの町の風景は武家屋敷の門や白壁などである。その中でひときわ目立っていたが、城下町の古い町並みにとけ込んでいて不快感は無かった。昭和6年、ドイツ人ヴェケレーによって建てられたものだそうだ。内部を覗いてみると、畳敷きで、鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会だ。鯉の掘り割りは花菖蒲の花が咲いていた。紫や白の花菖蒲と、白いなまこ壁と、赤や金色、黒などの大きな鯉とのコントラストが非常に美しく、さすがメインの通りだなあと感じながら散策する。
P1140724 このあたりは、武家屋敷のなまこ塀がならぶ、石畳の通りで、養老館前のあたりは殿町と呼ばれ、かつて家老屋敷が隣接していたところだ。殿町通りの東側、鯉の掘り割りに沿った一角に「藩校養老館跡」がある。旧藩時代に藩士の子弟を教育した場所である。天明6年(1786)に8代亀井藩主矩賢が創建、1853年の大火で消失し、1855年に再建された。現在遺っている建物は門の左が剣術教場・居合柔術教場、右が槍術教場だったようだ。 明治5年(1872)まで国学儒学、蘭学、医学、武芸一般などを教え、西周、森鴎外、山辺文夫など非凡の人材を排出した。
P1140699 藩校跡を出て、更に行くと津和野川の大橋の近くに鷺舞のオブジェがある。津和野といえば鷺舞が有名だ。この舞は天文11年(1542)山口の祇園会鷺舞を移したことに始まり亀井滋政公が京都祇園会から直接伝習させ今日まで伝えられている。鷺舞神事、輪くぐり神事の執り行われる由緒ある弥栄神社は津和野大橋から太皷谷稲成神社に通じる間にある。毎年7月20・27の祇園祭の神事として奉納される「鷺舞」の舞台として知られている。二羽の鷺に扮し、優雅に舞う舞は国指定無形民俗無形文化財に指定されているそうだ。津和野川大橋付近では、大勢の観光客が橋上の歩道から鯉に餌をあげてた。整備された土手から川まで降りると、ひとかかえもあるような大きな鯉やウグイが群れ集まって、目を楽しませてくれた。
P1140703  オブジェを見た後、弥栄神社に参拝して大鼓谷稲成神社に向かう。
P1140708  弥栄神社を出てすぐの所に鳥居がありここから約8分で尽きますとの看板が出ていた。それではと挑戦開始。260余段の階段右に行ったり左に曲がったりしながら階段を登っていく。階段のある部分は赤い鳥居で覆われていて、まるで赤いトンネルのようだった。
P1140721 この稲成は、津和野藩領主が津和野城の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に京都の伏見稲荷大社から勧請し創建された。日本五大稲荷のひとつに数えられているらしい。全国の稲荷神社の中でも、「稲が成る」と表記するのは珍しく、大願成就の祈りが込められている。五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就の神として信仰を集めており、特に正月は毎年数十万人の参拝客が押し寄せる。階段を上がりきったところに駐車場があることから車で登って来れるのだろう。境内からは津和野の町並みが、箱庭のように見える。お参りを済ませて、元来た階段の道を降りていく。

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2009年6月25日 (木)

西長門の旅 萩城下町散策

P1140579 朝早く目が覚めたので角島大橋の近くを散策する。やがてホテル出発の時刻が迫り、身支度を調えて集合場所に行く。ホテル出発が10時と遅いのでゆったりとできた。バスで191号線を東へ向かう。萩市中央公園の駐車場で降りてそこから萩城下町を散策する。 萩は、約400年前に毛利輝元によって作られた36万九千石の城下町で、今でも当時の武家屋敷と商人の住まいが残っていて、古い町並みを色濃く残している。江戸時代の古い地図が今もそのまま使えるといわれている。萩藩士や豪商の家が立ち並ぶ通りを歩いていると、まるでテレビの時代劇の中にでも入り込んでしまったような気分になった。
P1140580 慶安橋を渡り、江戸屋横町を散策することにした。横町を入るとすぐに円政寺がある。入口には鳥居があってお寺かな?神社かな?と不思議に思いながらはいる。入口で萩の古地図を貰う。この寺は大内氏の祈願寺で今の山口市円政寺町に創建、大内氏滅亡後、毛利公が萩へ築城と同時に移転、神仏分離令にもかかわらず今もこの形態が見られる。
P1140596 境内にある金比羅社はケヤキの建物で欄間に十二支の彫刻と天狗の面があった。同社にまつわる逸話が有名だ。その一つは金比羅社拝殿の前にある大きな赤い天狗の面が掛かかっている。天保の末年近所に生まれた高杉晋作がまだ幼かった頃、家人にいつもここに連れてこられ、この面を見せられて物畏れしないように躾けられた逸話が残っている。
P11405871P1140604 もう一つは嘉永の頃、当時の住職慶運は従兄弟の子(利助)を預かって読書や習字を教えた。この利助が成長したのが明治の元勲伊藤博文である。その当時使用していた「ニッコ」(ショイコ)が保存されていた。その他にも高杉晋作、伊藤博文が幼年時代に遊んだとされる木馬(神馬)や文化財である大石灯籠がある。石灯籠は高さ5mで山口県最大の物龍の彫刻がすばらしく一部には羽化絞りが施されていた。評価額は3億円だそうだ。
P1140612 その後、青木周弼旧宅、木戸孝兊旧宅の前を通り、重要文化財の菊屋住宅を見学することにした。慶長9年(1604)毛利輝元の萩入国に従い、現在地に屋敷地を拝領して家を建てた。阿古ヶ浜には藩士や足軽衆のための家を建てて住まわせたのでそれより、阿古ヶ浜を菊ヶ浜と称するようになった。その後、菊屋家は代々大年寄格に任命され、藩の御用達を勤めた。また度々、御上使の本陣を命ぜられ、その他御究場所・恵民録役所等しばしば藩の御用宅に借り上げられていた。先祖代々「我が家は私有であって然様でなし」と常にご用屋敷として体面整備に配慮し、屋敷などを大切に維持してきた事から、全国でも最古に属する町屋として文化財の指定を受けている。見どころは母屋、本蔵、金蔵などがあり、民具、掛け軸など古美術品、古書などがそれぞれの部屋に展示され、庭園や帳場など王子の御用商人の生活ぶりが偲ばれた。
P1140639 菊屋家を出て菊屋横町を歩く。この横町は「日本の道百選」にも選定されている。菊屋の白壁となまこ壁が続き、萩の顔としての静かなたたずまいを見せている。
P1140655 菊屋の斜め向かいには高杉晋作の誕生地がある。現在も生活されているので、入場できない時があると聞いていたが、この日は入場できた。高杉晋作は、天保十年(1839)萩藩士高杉小忠太(家禄二百石 号春樹)の長男として生まれ、明倫館に学びのち吉田松陰に師事、久坂玄瑞とともに松門の双璧と称される。文久二年(1862)上海に外国事情視察帰国後、藩の中心となり討幕運動に身を投ず。また身分を問わない奇兵隊を組織し、藩論を統一する。薩長連合に力をそそぎ幕府の征長軍を迎え撃って全軍を指揮し藩を勝利に導く。慶応三年(1867)維新を知らず下関にて29才で病没した。平屋建ての生家は思いのほか質素なもの。座敷には晋作の写真や書などが展示されている。庭には誕生の地に不可欠な産湯の井戸や晋作遺愛の鎮守堂、晋作の歌碑などを見ることができる。門の横の竹筒に「おもしろき事もなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」という晋作の辞世の歌が書いてあった。破天荒な短い人生を駆け抜けた彼を偲ぶにはぴったりの場所だ。

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2009年6月24日 (水)

西長門の旅 仙崎から角島へ

P1140510  青海島の観光を終えて仙崎にある金子みすずの記念館を訪れる。童謡詩人「金子みすゞ」本名(テル)は明治36年、現在の長門市仙崎に生れた。大正末期にすぐれた作品を発表し、西條八十に「若き童謡詩人の巨星」と称賛されるが26才で世を去った。20歳の頃から26歳の生涯を終えるまでに書いた詩は512編にものぼり、60年には東京大学校の入試問題に詩が使われた。地元仙崎の中心街通りを「みすゞ通り」と改名して、生家跡にはみすゞの生誕100年を記念して「金子みすゞ館」が建設され、ファンや長門市に観光客を集めている。
P1140503_3 代表的な詩に「大漁」がある。
朝焼 小焼だ 大漁だ 大羽鰯の大漁だ 浜はまつりのやうだけど 海の中では 何万の鰯のとむらひするだろう  
 この記念館は「金子文英堂」の看板が掛かっていて、みすずが20才まで過ごした書店、部屋が再現され、資料室、ギャラリーなども併設されていた。

P1140516  記念館の観光を終えて昼食場所に移動する。昼食はウニ丼であった。昼食を終えると土産物店に入る。そこで見つけたのは魚のせんべいだ。大阪あたりでも魚や海老などを入れたせんべいを見かけるが、魚だけではなく、粉も入っているように思う。しかし今回見つけたせんべいは、粉は一切入っていない。のしイカのように柔らかいのではないかと思いながら試食してみる。何とぱりぱり音がして、せんべいの食感だった。製造しているところが見学できて、味も美味しかったので買うことにした。
P1140573  仙崎で昼食を済ませて191号線を西に走り、角島大橋を渡り、角島灯台公園に向かう。角島大橋は平成12年11月に完成した。橋の長さは1780m、橋脚が28基あり、離島にかかる通行料が無料の橋としては日本で2番目の橋となっている。この橋は白い砂浜とエメラルドグリーンの海士ヶ瀬戸をまたぎ、景観と調和した雄姿は西長門海岸地域随一の景勝地となっていて美しかった。角島は島の形が牛の角のようになっているところから角島とよばれ、人口は941人で面積は3.94平方kmだそうだ。山口県出身の総理大臣が8人もいたため、道路の整備や橋の建設が行われたのだろうか。
P1140533  橋を渡って角島灯台へ向かう。この灯台は、明治6年8月に英国の技師により設計起工され、明治9年に日本海側最初の石造り灯台として、初点灯し現在も活躍している。 石造り灯台としては、29.6mあり日本第3位の高さを誇る。灯台内には、105段のらせん階段があり、屋上の踊り場では360°のパノラマが楽しめた。平成5年に灯台公園を整備するにあたって、建設に携わった3人の英国人が最初に居住し、その後、吏員退息所となった洋館を灯台記念館、周辺を灯台公園として整備している。また、平成10年には「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の選定を受け、歴史的ロマンを秘めた灯台の美しさは日本一といわれるようになった。
P1140541  その後、角島大橋をもどり、午後4時頃、本州側にある「下関つくの温泉」の西長門リゾートホテルに宿泊する。このホテルはプライベートビーチがあり、白い砂浜、エメラルドグリーンの海は美しかった。遠景に角島や大橋が見えて夜の風景は特に美しかった。部屋からの風景も非常に美しくゆったりと過ごせた。
P1140560  ホテルの部屋から見える夕方の風景

2009年6月23日 (火)

西長門の旅 青海島

P1140409_2  梅雨の合間を見て妻が山口県の仙崎に行きたいという。仙崎には「金子みすず記念館」と「青海島」があり、そこを観光したいという。ついでに萩、津和野も行ってはどうかとの提案があり決行することにした。
 長門市は、本州の最西端山口県の北西部に位置し、北は日本海に面している。北長門海岸国定公園「青海島(おおみじま)」をはじめ、「湯本温泉」、「俵山温泉」など、観光資源に恵まれた町だ。山口県北浦沿岸では、紀州捕鯨、西海捕鯨と並んで長州捕鯨として古くから捕鯨が行われていてモニュメントもあった。仙崎観光桟橋から観光船に乗る。観光船は鯨の形をしていて楽しませてくれる。

P11404141  船が桟橋を離れると、船は青海島を時計回りに1周するコースだ。最初に青海大橋の下をくぐり右手に王子山、波の橋立を過ぎて進むと、花津浦(はなづら)とよばれる高さ20m、穴の直径およそ8mの小岩島がある。花津浦とは牛の鼻の先という意味と、愛しい我が子を抱いて朝鮮を眺めた須佐之男命が、離れづらいと言われたためともいう言い伝えがあるらしい。岩の先端には観音様が手を合わせて、読経しているお姿のように見える岩がある。岩は砂岩のようであるが、波によって浸食され、真中に穴が空いているのだ。金子みすゞさんは、この話をうたい込み、自らも入日に燃える海を見つめ、深い郷愁の念を抱いたといわれている。仙崎八景のひとつだ。
P1140435_2  東風瀬を通り、赤瀬、小瀬戸、筍岩を通って黄金洞につく。この洞は2つ穴が空いているので、またの名を夫婦洞とも呼ぶ。夫婦円満になると言われる。この洞門、奥行80m、入口の巾13m、門の高さ32m。一番奥では両方の洞が続いている。奥は狭くなっており、船の先端が入って行けるのは25m位迄。洞内の岸壁が金箔色に見えるのは、石英と有色鉱物の作用及び日光の反射によるものと思われる。船は黄金洞内に突っ込んだ。洞の奥行きはそれほど深くなく、しばらく見物した後バックする。マアこんなもんか、という印象だ。
P11404541_2 船は、女性観音に近づく。女性観音は観音洞内に在り、海上が穏やかな時には小型観光船で洞内通過して見ることができるが今回は見ることができなかった。男性観音は、観音洞を過ぎてすぐにそそり立つ岩。自然が気ままに作り上げた男性のシンボルの芸術作品のように見えるのが不思議だ。子宝に恵まれると言われているが、少子化の現代、ご利益を発揮していただきたいものだ。
 男性観音を過ぎて石門を通過し大門に行く。

P1140467P1140484  大門の高さは約40mで、自然に空いた大きな穴だ。青海島を「海上アルプス」と呼んだのは横山健堂(達三)。大正7年、大津郡の夏期大学の慰労として、講師とともに遊覧船に乗ったが、波風があり引き返し、翌年再来して一周し、「アルプスは陸上にのみあるとは限らぬ、海上にもある。この風景が即ち海上アルプスである。」と言って、満船の人々が皆、共鳴したという。そのときの、この風景と言われた場所が大門一帯と伝えられている。青海島一周コースの船からのみ見ることが出来る、絶景だ。小型の船はこの穴の中にはいるそうだが今回は近くまでしか行かなかった。小門を過ぎ、海岸線近くに獅子岩がある。山島を過ぎると島見門(右の写真)だ。このコースのハイライトで、高さ100mもの大岩の下部にぽっかりと開いた洞門だ。洞門を東に抜け西を見ると、門内に山島を見るので島見門というらしい。島見門を後して、更に船は進む。やがて烏帽子岩を見ることができる。頂上には、ミサゴという鳥の巣があった。
P1140491 烏帽子岳を過ぎて進むと、仏岩と屏風岩に到着する。 この岩は、お坊様が座って手を合わせている姿に見える。首から肩に掛けて大きな数珠が掛けられている。昔地震で、頭に相当した岩が落ちそうになったので、危ないためロープで引っ張って落とそうとしたが落ちなかったそうだ。諦めて数珠を掛けてお坊さんに見立てたのだろう。その後、東北の松島に由来する島をめぐり、奇岩めぐりを終了して、遊覧船は仙崎港へ戻る。
 この遊覧船、岩の隙間を走ったり洞門をくぐったりと、かなり過激なコースを航行するだけあって、波が高いと外海に出ない短縮コースになってしまうらしい。
また、一周コース催行時でも、波高や潮位によっては一部の洞門くぐりがカットされることもあるらしい。
 今回は天気に恵まれ、青海島ならではの遊覧コースをフルに体験することができ、非常に幸運だった。

2009年1月25日 (日)

西伊豆 沼津御用邸見学

Dsc_7001 朝は早く目が覚める。ちょっぴり疲れが出てきたのであろうか。身体がだるい。富士山はどんな姿を見せるだろうかと窓に顔をつけてみる。薄明かりの中に、月が沈むのと太陽の光に照らされる富士の姿は幻想的だった。朝食を済ませ、沼津の魚市場を見たいと思い、車で出かけることにした。魚市場は大勢の人達で賑わっていた。鮮魚や干物売り場は土産物を買う人でごった返していた。海外からの観光客も大勢いて、昼食時には食事どころに長い行列を作っていた。
Dsc_7028_1_2 以前クルーザーを係留していた港に行く。港は埋め立てられて公園になっていた。管理人は沼津港にいるというので訪問することにした。久しぶりの対面に話が弾む。港には鉄鉱石など運ぶ船やくず鉄などを運搬する船が入っていた。大型のヨットや、クルーザーなども全て陸に保管されていた。西宮ヨットハーバーなどでは港に係留されている舟が多い。なぜだろうかと尋ねると、海中に保管すると船底に藻や貝が付着し、操船したとき速度が落ちること、エンジンなどが海水などでさびて耐用年数が低くなるなどの不具合が生じるからだと言っていた。港には大きなクレーンが有り、このクレーンはヨットなどの釣り上げに使うそうだ。その操作を管理人がしていると言っていた。腹も減ってきたし、昼も過ぎて食事処もすいてきただろうと、再び市場に出かける。
Shop02 磯はるという鰯専門店で昼食にする。この店は、昭和53年にイワシ専門店として沼津魚市場の向かいにある店だ。イワシにこだわるのは、青魚の中で一番栄養があるということと、店の立地を生かした新鮮なイワシをお客さんに食べてもらいたかったからだと店主が言っていた。開店当初は、高度成長期でイワシは見向きもされなかったが、専門店ということでテレビ・雑誌などで紹介され、県外からも訪れるようになり、ここ数年は、健康ブームということもありさらに多くのお客様が行くようになったと話していた。
 イワシの天ぷら、南蛮漬、刺身、味噌煮、塩焼、つみれ汁などを注文する。てんぷら、南蛮漬、味噌煮等大変美味しかった。満足して沼津ご用邸に向かう。

Dsc_7100 沼津御用邸は明治26(1893)年、大正天皇(当時は皇太子)のご静養のために造営された。御用邸は皇室が主として保養のために用いる別邸で、いわばリゾート施設である。当時、このあたり一帯は楊原村と呼ばれる小さな漁村だったが、気候が温暖なうえ、前面には駿河湾、背後には富士山という風光明美な地であることから別荘地として注目されはじめて、すでに大山巌(陸軍大臣)、川村純義(海軍大臣)、大木喬任(文部大臣)、西郷従道(陸、海軍大臣)の別荘が建てられていた。彼らはいずれも明治政府の高官である。川村純義伯爵が後に皇孫殿下(昭和天皇と秩父宮殿下)の養育係になっていることを考えると、この4人の存在が御用邸設置に大きく影響したものと思われる。加えて明治22(1889)年に東海道線が開通して、東京からの交通の便がよくなったことも理由の一つにあげられている。早速、西附属邸の内部を見学する。この附属邸は、明治38年8月、本邸西隣にあった川村純義伯爵の別荘を買い上げて皇孫殿下のための御用邸とされた。

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2009年1月24日 (土)

西伊豆 戸田から修善寺・長井崎へ

Dsc_6840_1 大瀬崎を後にして、戸田へ向かう。大瀬崎から海岸線を南へ進む。途中に「煌めきの丘」がある。朝は雲も少なくて富士山も顔を見せていたが、昼前には雲が増えて煌めきの丘からは顔を見せなかった。太陽の位置によっては、海面がキラキラと煌いて見えるため、命名されたこの丘は、雲がなければ正面に富士山を見ることができるビューポイントだ。特に冬の景色は美しく、眼下の菜の花と海のコンストラストが見る人の心を和ませてくれる。菜の花畑が「井田」という字に刈り取られていた。
Dsc_6861  少し南へ行くと、外沢海展望地につく。車を降りて翠の丘から、天然の良港「戸田港」とそれをゆるやかに包む御浜岬を望む。「正面は雄大な駿河湾、右手に長い裾野をたなびかせる霊峰・富士山。その全てが一望できる最高のポイントである。春夏秋冬、それぞれの趣をたたえたここからの眺めは、とても言葉では言い尽くせない。」と義弟から聞く。この日は残念ながら富士山は見えなかった。
更に南へ行き土肥の町にはいる。万福寺には土肥桜があるが1、2輪が開花する程度であった。この町で昼食を取り、西伊豆スカイラインを通って中伊豆に向かう。そして修善寺に行くことにした。新婚旅行で訪れたお寺だ。懐かしく思い出しながら観光する。その後日帰り施設「湯屋光琳の風呂」 に行き温泉を楽しんだ。「光琳」は以前は旅館だったそうだが、玄関、ロビーなどに当時の面影が残っている。風呂は大浴場の他露天風呂が2つ、サウナ・樽の風呂などいろいろな施設があった。平地の露天風呂なので景色は見えなかったが入口に滝などを造り風情を感じさせるように努力している。休憩室から眺める庭も趣があった。

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2009年1月23日 (金)

西伊豆 大瀬崎へ

Dsc_6782 釣りは諦めて、クルーザーを海から引き上げるため、母港に行く。義弟と二人で舟を引き上げ、各部を洗浄格納した後、大瀬崎へ向かう。大瀬崎は別名琵琶島とも呼ばれ、駿河湾に約1km突き出した半島で国の天然記念物となっているビャクシン樹林が群生している。 海越しに日本一の富士山をのぞむ景色は古くから名勝の地と知られている。また、スキューバダイビングのメッカでもあり、全国各地から勉強に来る人達が多いそうだ。夏は海水浴客で賑わいを見せる。ダイビングを研修している学校の中を通り大瀬神社に向かう。
Dsc_6808 大瀬神社は、海の守護神として祀られ、駿河湾漁民の信仰の象徴になっているだけでなく、船を新造する時には、必ずこの神社に参詣し、海上の安全を祈願したそうだ。「大瀬神社の記」によると、白鳳13年(684年)大地震が起き土佐国で多くの土地が海中に没した反面、突然三百丈余も隆起して「琵琶島(びわじま)」と呼ばれる島が出現したとか、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々がここに引手力命を祀ったのが最初、とも言われている。
Dsc_6831 大瀬崎の先端には神池と呼ばれる池がある。最長部の直径がおよそ100メートルほどの池で伊豆七不思議の一つに数えられている。海から最も近いところでは距離が15メートルほど、標高もおよそ1ないし2メートルしかなく、海が荒れた日には海水が吹き込むにもかかわらず淡水池で、コイやフナ、ナマズなどの淡水魚が多数生息している不思議な池だ。
Dsc_6826 一説によると富士山から伏流水が湧き出ている、などとする説もある一方、海水面の上下に従って水面の高さが変わるとも言われていて、何故淡水池であるかは明らかにされていない。神池は、大瀬神社境内にあり神秘幽玄ということでは両者を切りはなしては考えることはできない。
Dsc_6798 参道は、約百三十本のビャクシンに覆われ、樹林を形成している。ビャクシンの樹林としては日本の最北端で、イブキの品種であるビャクシンが自然発生のまま、このように群生している所は、全国的に見てもまれである。樹齢千年以上と思われる老木も見られるこの樹林は、全国的に珍しいものとされ、昭和7年7月25日(1932年)に「大瀬崎のビャクシン樹林」として国から天然記念物に指定されている。ビャクシンは伊吹とも呼ばれ、ヒノキ科の植物で本州、四国、九州、朝鮮、中国中部に分布する常緑針葉高木。海岸の岩場などに生育し、大木になると、幹がねじれたようになる。

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2009年1月22日 (木)

西伊豆 夜明けから朝にかけての富士

Dsc_6993_1 天候が良ければ舟で男達は釣りに出かける予定だ。その間に妻達は近くを観光する予定だ。そのため、朝4時頃、目が覚める。さっそく海の状態はどうかと窓を開けて確認する。風が強く吹いていて沖には白波が立っているようだ。天気予報も海は荒れると報道していた。どうも釣りはできそうもない天候だ。その代わりに雲も切れているのではないかと期待に胸が膨らむ。南アルプスに沈んでいく満月は波に映えてきらきらと美しかった。
Dsc_6762_1_1  7時頃になると太陽が上がってくると同時に、富士はあかね色に輝き出す。海の表面から水蒸気が立ちこめ、もやがかかっている。富士山頂の雪とまわりの雲に太陽の光が照らされて赤く染まり、雲が流れ、時間と共に形が変化していく。いつまで見ていても飽きない光景だった。

2009年1月21日 (水)

富士山見においで!

Dsc_6705 昨年の暮れに義弟から「西伊豆の駿河湾から見る富士山がきれいので一度来ませんか。」との誘いがあり、別荘に招待された。妻と相談した結果、寒い時の方が空気が澄んでいてきれいだろうと出かけることにした。義弟は「舟も出しておくから、釣りもしよう。今は甘鯛がよく釣れているよ。」との声もかかっていた。欲張りな私達は、両方できればいいのにと思いながら胸をときめかせて列車に乗り込んだ。家は沼津なのだが新幹線に沼津駅はないので三島に行き伊豆急に乗り換える。三島には、義妹も来ていて、そこで合流、伊豆長岡で下車。迎えの車に乗り込んで家に向かう。その日は、曇っていて富士山は顔を見せなかった。義妹は冬の富士はきれいから見に来るようにすすめたのだが、見えなかったらどうしょうと、胸を痛めていた。その日は宴会だ。前日に釣った魚で手料理だ。刺身有り、焼き物有り、煮物有り、鍋ちりあり、いずれも魚が新鮮なため非常に美味しかった。近くには王元監督や演出家の淺利慶太さんの別荘もあるそうだ。そんな話をしながら、時間を忘れて夜遅くまで歓談が続いた。駿河湾に映える月明かりも美しかった。明朝の窓から見える富士山に期待しながら就寝。

2008年12月29日 (月)

備中高梁の帰り 日生でのできごと

Dsc_6369 備中高梁を15時半頃出発して、日生に向かう。日生では妻が美味しい牡蠣料理があるので、夕食に食べようということになり、行くことにする。日生に着く頃には日は暮れていて、駅前のツリーが輝いていた。町の飲食店はシャッターがおりているところが多いと感じながら、早速夕食場所に行く。案の定、店はシャッターがおりていて「本日休業」の札がかかっていた。
 隣に八百屋があったので正月用の野菜を買い、店のご主人に、
 「この町で夕食を食べさせる店で美味しいところはないの?」と訪ねると
 「ちょっと待ってや」といいながら携帯電話をを取り出し、話し始める。
 「開いているわ。店は近いが車で送るよ。チョット待って」といいながら、お客のレジ済ませている。そこにおばさん風の人が混じっていて、その人のレジを済ませると
 「☆☆さん、この人達、店に送ってくれへんか」
 「ああ!いいよ」あまりにおかしいので躊躇していると
 「お客さん心配しなくていいよ、この人、私の姉なの。店に行く道と、帰り道が同じだから、送ってもらいな。帰りは店の人に言って、駅まで送ってもらいな。電話しとくけん。」店まで来車まで5分ぐらいだった。店の前で自動車を降りて店に入る。
 「電話して貰ったのですが・・・」というと
 「ああ聞いてるで」女性の店員は愛想良く注文を聞いてくれる。男性の主人は無愛想だった。焼き牡蠣、牡蠣フライなどの料理をいろいろと注文し、ひれ酒をのみ、寿司を食べ満腹になり、帰りたいというと
 「車で駅まで送るけん、車を車庫から出してくるまで待って。」そして駅まで送ってくれた。牡蠣の天ぷらは食べなかったが、その女性によると、非常に美味しいので又食べに来てといわれて別れる。田舎にはまだまだ親切な人がいるものだと感じた1日だった。

2008年12月28日 (日)

備中高梁 城下町散策

Dsc_6448 中州公園でタクシーを降りて、武家屋敷・商家などを観光しながら街中を散策することにした。中州公園のあたりの川は運転手の話によると、備中松山城の内堀として使用しており、下級武士が住んでいたそうだ。
Dsc_6487 各家の前には立派な橋が架けられている。居館である御根小屋もあったとされる高梁高等学校も石垣の土塀に囲まれた荘厳な建物だった。途中で生徒に出会うが、どの生徒も「こんにちは」と声をかけ、礼儀正しかった。高梁市のこの界隈は「男はつらいよ」で2回、「県庁の星」「バッテリー」など、映画のロケ地として使用された場所でもある。
Dsc_6456 武家屋敷・旧折井邸のある石火矢町は土塀が続き、格式ある門構えの街並みが見られ、岡山県指定の「石火矢町ふるさと村」の一角だ。入場券(4箇所共通件が700円)を購入して、旧折井家に入る。
Dsc_6461  この建物は170年前の天保年間に建てられたもので200石前後の武士が住んでいたそうだ。母屋と長屋門からなり母屋は書院造り、中庭の池や踏み石などは昔のままだそうだ。玄関で武士の人形に迎えられ、奥座敷では勉学に励む人形が当時の面影を再現している。居間は板敷きだがむしろが敷いてあった。武士といえども質素な生活をしていたのだろう。

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2008年12月27日 (土)

備中松山城

Dsc_6559 今年最後の「青春18切符」を利用して、備中高梁まで出かけることにした。朝7時18分発新快速で大阪を出発して姫路へ行く。朝早いが通勤のサラリーマンで車内はごった返している。大阪発だったので私たちは何とか座ることができた。姫路で播州赤穂行きに乗り換えて相生で下車する。相生駅では約30分くらいの待ち時間があるのでトイレなどを済ませ、岡山行き普通車に乗車する。岡山まで1時間の列車の旅だ。相生駅で駅員さんに備中高梁行きの岡山での接続について尋ねると「この岡山行きは岡山駅に到着後、前4輌がそのまま備中高梁駅に行くので、前の車両に乗っていれば、乗換無しで行けます。」との回答があり、ラッキーと思ってその車両に乗ることにした。普通列車は高校生などの学生でいっぱいだった。やがて列車は岡山に着き、車両を切り離す。再び発車、倉敷を過ぎる頃、山陽線に別れを告げて、伯備線に入って行く。だんだん山の中を走るようになる。トンネルをいくつか越えてやっと備中高梁駅に到着、時計を見ると12時少し前だった。
Dsc_6370 インフォーメーションセンターに行き、町の観光地図を貰い、説明を聞くと親切に教えてくれた。松山城まで歩くと登り坂が大変なので、途中までタクシーを利用しては、とのアドバイスを受け、ふいご峠まで車で行く。ここから徒歩で松山城まで登っていく。運転手さんが「車の舗装道を上った方が楽だよ」と言うので舗装道を行く。途中から別れて約700mの不規則な階段のある急な登り坂を登っていく。
Dsc_6380 やがて「登城心得 よくぞまいられた」の看板が見える。ここが手門跡だ。ここから城の中に入る。山城の名に恥じず、階段、又階段だ。天守閣を目指す。途中には「足軽番所跡」「土塀(重要文化財)」「三の平櫓跡」「二の平櫓跡」等を通って、本丸の入口である「五の平櫓(復元)・六の平櫓(復元)」「路地門」にたどり着く。
Dsc_6400 ここからは入場料金が必要だ。1人300円を払って入場する。
Dsc_6406 天守閣は木造本瓦2層2階の建物である。
Dsc_6422 内部1階には囲炉裏と装束の間があり、2階には守護神を祀った御社壇がある。古い木組みの構造の中に美しい手斧と槍鉋の跡が見え、小さいが木造でどっしりとしていて趣きがあった。
Dsc_6412  天守閣からは高梁の街並みが一望できる。すぐ傍には松山城の五の平櫓と六の平櫓と路地門が見える。一通り見学してふいご峠まで降りていく。峠の駐車場でタクシーを呼び武家屋敷の近くまでおりる。

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2008年11月26日 (水)

まんばのけんちゃん

P1110274blog 先日妻の実家で法事があり、妻と一緒に帰郷していた。法事を済ませた後、親戚一同と久しぶりに会食をした。我々夫婦は関西なので交通の便が良くなった昨今、帰郷するには時間もかからず、我が家の庭のような感覚だ。しかし埼玉の義弟一家はかなり時間もかかり、乗り継ぎもあり大変だったようである。義弟は同窓会もあり、同窓生とゴルフをする計画だったので、それなりに楽しんだらしい。しかし、奥さんはたった1人で帰宅しなければならないので、我妻がどこかへ一緒に旅行をしようと計画し、女性3人で、岐阜へ行くことにした。
 その晩の夕食は、丸亀で取ることにし、「活魚料理一徳」という料亭を予約した。ホテルも予約を入れた。夕方になり、その店に行くと座敷に通されて、再び宴会が始まる。
 店の女性に「この地方の郷土料理は何ですか?」と尋ねると、「讃岐うどんは有名だが、その他にこの地方の郷土料理で有名な料理は、醤油豆、てっぱい、まんばのけんちゃんです。」と答えてくれた。醤油豆はよく耳にする名前だが、後のふたつは判らない。「この店で作っているんですか。」再び尋ねると「てっぱいは、出せますが、まんばのけんちゃんは、家庭料理なので、この店ではお出しできません。」と言うので、「てっぱい」なる料理を注文した。女性に料理のいわれを教えて貰う。「てっぱい」は、「昔、伊勢講や寄り合いごとの酒の肴に、男達が生きたふなを使って作る料理で、冬の客膳には欠かせないものだった。本来は、ふなを使って作る料理だが、最近はなかなか手に入らないため、さばや、このしろを代わりに使って作ることが多い。彩りににんじんも大根と同じように短冊に切って入れるところもある。 」との説明があり、聞いている内に料理が運ばれ、箸をつける。とても美味しかった。

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2008年11月24日 (月)

チョット古いですが・・・

04_007203 少し古いですが、ニュージーランドの旅行記が下記に掲載されていますので、ご笑覧下さい。おとむさんの「散歩三昧」

2008年10月 4日 (土)

入手しにくい土産

Dsc_4500blog 先日妻が北海道に行き、買ってきてくれた土産の中に「花畑牧場の生キャラメル」と「じゃがぽっくる」というのがあった。 「花畑牧場」は『花畑牧場』は北海道の十勝にある、酪農家でもあり、タレントの田中義剛が牧場長をつとめる牧場である。そこで作られた「生キャラメル」を早速賞味する。口に入れた瞬間溶け出す、新食感のキャラメルだった。とても美味しい。
  もう一品は「じゃがポックル」だ。これも同じように並んで購入したらしい。「じゃがポックル」は、カルビーが製造している。じゃがいもを主材料とするスナック菓子である。正式な商品名は「じゃがポックル オホーツクの焼き塩味」。じゃがポックルはサクサクとした食感で、塩味がやや薄い。美味しかったので、通信販売ができるかどうか、問い合わせたが、北海道限定商品なので販売はしないと言っていた。買えないとわかると余計に欲しくなるのが人情だ。残念sign03

2008年7月20日 (日)

琵琶湖博物館

Dsc_3502_4  草津市立水生植物公園に行ったついでに近くにある「滋賀県立琵琶湖博物館」に入館してみた。当日は「ファーブルにまなぶ」の企画展示もしていた。常設展は400万年前まで遡って琵琶湖がどうなっていたかなど、琵琶湖の歴史について解説されていた。主な展示品としては「琵琶湖の生い立ち」「人と琵琶湖の歴史」「湖の環境と人々の暮らし」「淡水の生き物たち」をテーマにして展示されていた。
Dsc_3508_4  当日は幼稚園のこどもや小学生の学童などが大勢訪れていた。家族連れも来ていた。内容的には遺跡や化石などもあったが、多くはレプリカなどの展示だった。内容の割には入館料が高く感じた。バスの時刻の関係もあり早々に引き上げた。

2008年7月19日 (土)

みずの森

Dsc_3448  前から妻と約束をしていた「草津市の水生植物公園みずの森」に行く。この公園は6月17日から8月24日迄「サマーフェスタinみずの森」が開催されていて、睡蓮と蓮の花が満開になっていると聞いていた。草津市烏丸半島に広がる日本でも有数の花蓮の群生地で水生植物の宝庫だ。
 朝早くおきると、外は土砂降りの大雨。蓮の花は午前中に行かなければ、開花が見られないといわれているので、行くか、行かないか決断を迫られた。「ああ!やっぱり雨か。」と思いながら、雨の日の花見もまあいいかと思い切って出かけることにした。
 大阪駅に着いたころには、ラッシュアワーに巻き込まれ、満員電車に乗ることになった。JR草津駅では大勢の人が下車した。そこからバスで「水生植物公園」まで約25分。まだ雨は相変わらず降っている。仕方ないので雨宿りをかねてロータス館に入園。帰りに琵琶湖博物館を見ることにしたので両方の入場券を730円で購入する。
 モネの「睡蓮」を模写したプローグとして入口にある。映像ホールでは、「永遠の清明と想像の象徴ロータス」「ハスとスイレン」「仏教五木」の映像解説を見る。ロータスとはハスとスイレンの総称だ。その後温室に入る。ここには年中睡蓮が咲き誇っている。その他多彩な水生植物や、熱帯諸物を見ることができた。やがて天候が回復し日差しが強くなってきたので、表に出てハスの群生地にいくことにする。大勢のカメラマンがカメラを構えて写真を撮っていた。ここの蓮は約13haの琵琶湖の湖面に一面に咲き、花開く様は壮観な眺めだった。

Dsc_3370 フラワーバスケットと水生植物を組み合わせた「ウオーターガーデン」
Dsc_3322_3 スイレン
Dsc_3486_3 ハナハス

2008年7月15日 (火)

須磨海水浴場

Dsc_3216  夏休みにはいる1週間前の昨日sun、15時頃、カメラを持って、須磨の海水浴場に行ってみた。sportsJR須磨駅の南側には、泳いでいる人、日光浴をしている人がいたが、人数は最盛期に比べると少なかった。

 カメラをぶら下げて歩いていると、茶店の人に声をかけられる。「おっちゃん何を撮すんや。sign02」「須磨の海水浴場全体を撮りたいんや。sign01」「良い写真撮ってや。sign03」「おおきに。」てっきり隠し撮りでもするのかと疑われたらしい。weep

「この頃ここの砂浜、奥行きが広がったのsign02、以前来たときより広いように思うが・・・・」「砂浜に砂入れて手入れしてるんよ。」なるほど・・・それで奥行きが広がったのかと感心していた。

JRから東の方に歩く。ジェットボートやウインドサーフィンの場所があるがそこも空いていて1、2台が楽しんでいた。更に東に行くが、小川を越えた砂浜に茶店はあったが客は1人もいなかった。店の人は今週はダメだ。来週から本格的に忙しくなるといっていた。この暑さなので今年は繁盛することを祈っている。

2008年6月23日 (月)

金沢・尾山神社

Ni01lzcl_s  慶長4年(1599年)に加賀藩藩祖前田利家を祭り、創建された卯辰八幡宮を、明治6年に卯辰山から歴代藩主の別邸であった金谷御殿跡の現在地に移し、尾山神社とした。尾山神社の神門は明治8年に完成したのですが、神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗だった。2002年11月に尾山神社の神門の改修が完成した。境内には、琴や琵琶など雅楽の楽器を模した橋や島を配した庭園や金沢城二ノ丸の門であった東神門もある。前田利家公とその妻まつの像などもあった。
Rpnbhtio_s  利家の像は、利家の後に風船のような物が乗っている。これは「ほろ」と、よばれ流れ矢を防ぐために鎧の背ににかけた布のことである。その後時代の推移により風に膨らんだ形を示すために竹串、鯨骨、髭などを骨組みに入れて「母衣」とよんだそうだ。この騎馬武者を母衣衆とよび、前田利家を筆頭に赤母衣衆と呼ばれていた。
2j3hx6p0_s  境内には「お松の方座像」もある。前田利家の正妻で12歳の時に9歳年上の前田利家に嫁ぎ2男9女を儲ける。平成14年NHK大河ドラマ「利家とまつ加賀百万石物語」放映決定を記念し、建立された。
Edrcmlss  神門は創建から2年後に建てられ、和風とも洋風とも竜宮城ともつかない…形である。類例のないオリジナルデザインだ。高い技量を持った江戸時代の大工が見よう見まねで建てた西洋館(擬洋風建築と呼ばれ明治初期だけに見られる形式)にも似たオーラを感じる。仏教寺院ならともかく、よりによって神社になぜこのようなデザインを採用したのかよくわからない。
 境内には他にも、旧藩主前だけよりの拝領石「さし石(力石)」、庄川上流の金屋石で作られた導水管、利家公金鯰尾兜像、桃山御殿様式唐門の東神門など見応えがあった。
 庭園は泉水築山を設け池泉の回遊様式で作られている。八つ橋や池の中にある図月橋や中嶋は江戸初期の作風を残していると言われている。橋有り、島有り、滝有り滝の落ちる音有り、いつまで見ていても見飽きない風景だった。

2008年6月22日 (日)

金沢城跡・長屋?

Dsc_1975  金沢には30間長屋や50間長屋などがあるという。てっきり昔、町人が住んでいた長屋跡なのだと思って地図を見ると、金沢城跡の中にあるではないか。近くまで来たので立ち寄ることにした。いもり坂口から、地図を片手に林の中を登っていく。でもそれらしい家はなかった。まだ、長屋がお城だと気がつかないでいたのだ。
 「何処にもそれらしい家屋がないのだが・・・。」
 「なぜだろう。」城の広場の片隅に案内所があり、「長屋は何処にありますか。」と尋ねる。
 「ああ!長屋というのはお城のことですよ。」
 「無料だから入って、みてきてください。入口はあちらです。」指をさされた方向へ足を運ぶ。入口を入ると、入場券売り場があった。
 「あれ!さっきの人は確か無料だと言っていたが・・・」と思いながら、
 「無料ではないのですか。」と聞く。
 「はい、無料ではありません。入場料は300円です。でも65歳以上の証明書があれば、無料になります。」早速免許証を見せると、無料になった。さっきの人は見る目があり、一目で我々を65歳以上だと判断したのだ。なあんだ・・・・。

Dsc_1993  建物は新しくてナマコ壁がとても美しい。50間長屋の長さは続櫓から菱櫓まで141mで菱櫓は3層(高さ17.34m)の物見櫓になっていた。平成13年に菱櫓、50間長屋、橋爪門続櫓を復元した建物でまさお城だった。しかし天守閣がないので不思議に思いながら見学していた。菱櫓から金沢市内が一望できると同時に近くで発掘している場所があった。館内には復元模型の完成模型もあったがやはり天守閣はなかった。
Dsc_1998   近くにスタッフの方がいたので天守閣がない理由を聞く。すると答えが返ってきた。最初はあったようだが何度か焼失していて天守閣の遺構が見つからないので天守閣は復元できないというのが、一つ。もう一つは城主が外様大名だったので、幕府から天守閣建築の許可が下りなかったようです。代わりに長屋として城的な建物を建築し、櫓を天守として使用したのではないかとの説明があった。
 近くには30間長屋もあったがここは公開されていなかった。長屋の意味が理解でき、知識のなさを恥じて、夫婦でくすくす笑っていた。sweat01smilesmilesmilesweat01

Dsc_1996_2  菱櫓からは遺構を発掘している作業現場も見える。帰りに近くを通ってみた。大きな石垣に番号を付けたり、写真を撮ったり、図面を書いたり、大勢の人が携わっていた。smile

2008年6月21日 (土)

金沢・長町武家屋敷跡界隈

1ytvclpd_s  金沢は前田利家が築いた城下町で、町中に用水と坂が多い。城の東側は卯辰山がせり出し坂を作り、東西には、浅野川と犀川が流れている。この2つの川から取水した用水が、網の目のように街を流れ、農業、生活用水として使われていた。幸いこの町は天災や戦災から免れた。長町界隈はT字型の袋小路等当時の面影が残っている。
 香林坊でバスを降りて、西へ100m程行くと用水に出る。町中の枡形の小道を行く。土塀の武家屋敷が繋がっていて、江戸時代の雰囲気の街に浸る。くねくねと折れ曲がる道を行くと、大野庄用水に出る。

1vb2zsrx_s  少し北へ行くと野村家の武家屋敷跡があり、公開しているので入場料金500円を払って見学することにした。
 野村家跡は、大正11年(1583)藩租前田利家が金沢城に入城して、加賀百万石の基礎が築かれたのである。直臣として従った野村伝兵衛信貞家は、禄高千石から千二百石と累進して、代々を神馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に千有坪(3000�余)の屋敷を拝領し、家督は11代にわたって、明治4年の廃藩に至った由緒ぶかい家柄である。武家制度の解体で、あたりの多くは菜園となったが、幸い門、土塀などは従来のままの姿を残していたものの、大正初期の窮乏でさらに土地は分割されて、現在の住宅街と変貌したのである。当野村家も古木、曲水の庭園の一部を残し、館を取り払い分割されていくたびか住人を変えたが昭和初期に至り藩政時代、『北前船』船主で遠く蝦夷地(北海道)などと通商した、加賀の支藩大聖寺藩下橋立村の傑商久保彦兵衛が、藩主を招いた豪邸の1部の上段、謁見の間を移築して現在に至っている。

Uon3tjrp  玄関を入ったところには野村伝兵衛が使用した甲冑が飾られている。金に糸目をつけない総檜づくりの格天井の上段の間は、紫檀、黒檀材を使った緻密な細工遣りで、畳下が桐板張りであることも驚きである。金彫師の手によるもの思われる黒柿材の漆かし彫りの釘隠し、襖の引き手は鉄刀木(タガヤサン)の細工彫でできている。
Qdjsczp4_s  庭園は、上段の間、付書院から眺める多宝塔、西乃屋形、各種の春日灯篭。六尺に及ぶ大雪見灯篭を配し、さくらみかげ石の大かけ橋。藩主利家と同じ尾張への郷愁から植えた北陸の地には成育はしないという樹齢四百年以上といわれる山桃を縫って、名石、奇岩を絶する濡れ縁にせまる曲水、落水の妙。まさに小堀遠州好みの「真の庭」の代表的な庭園として、たかく評価され加賀文化のふかさ、歴史の望みをたたずむここに感じられてならない。池には美しい大きな鯉が泳いでいた。
 隣には鬼川文庫があり、野村家で使用していた陶器、刀、掛け軸等が展示されていた。

Xnwy_vf5_s  野村家を出て高田家跡の長屋門をみて、長町友禅館に向かう。そこは加賀友禅の工房で素材から加賀友禅ができるまでを。説明を聞きながら、見せていただいた。
P7gmmhkr_s  説明によると、加賀友禅は、江戸元禄の頃、宮崎友禅斎により伝えられ加賀藩の庇護を受け、友禅師の手から手へと精巧な技術が継承され現在に至ったそうだ。手書きで染め上げられる工程は複雑で手間のかかる仕事だと思った。一通りの説明を聞き、できあがった作品を見ると一層苦労の跡が感じられて感動した。
 

2008年6月20日 (金)

金沢・ひがし茶屋街

A8dzs7dy_s  金沢には、江戸の城下町風情を偲ばせる茶屋街が今もそのまま残っている。金沢城の北東、浅野川を越えれば、ひがし茶屋街である。このほかにも主計茶屋街、にし茶屋街などがある。最も歴史が古いのが東茶屋街で、文政3年(1820年)加賀藩公認として始まり高い教養と芸を身につけた上流階級だけが出入りを許された社交場だった。今でもお座敷は一見さんお断りを守り、高い格式は、京都祇園と並び称される。
Gxdgtokt_s  懐華楼は公開していて、内部を見学する。韓国からの観光客や台湾からの観光客でいっぱいだった。2階に上がり、囲炉裏の縁でお薄をよばれた。
 懐華楼の概略
 構造:木造2階建切妻瓦茸土蔵は土蔵造瓦葦2階建。敷地面積234.04�(70.80坪) 床面積…1階・188.88�(57.2坪)2階・180.09�(54.5坪)
 建物の特徴:間口6間奥行き12間の大きさは、この界隈で最も大きく、土蔵や茶室・茶室用の入口を持つこの建物は格式が高かったものと思われる。表通りに面する外観の特徴として一階の出格子と二階の高い建物の外観が特徴的である。金沢市指定保存建造物(旧越濱)となっている。
 1階間取りは、通りに面して「みせの間」がある。板貼りの部屋で格子越しに通りが見られ、現在は囲炉裏になりサロンとなっている。横にある6帖の茶室は茶室十間縁と坪庭がつき、茶室の畳は金箔織りになっている。「みせの間」奥には、「茶の間」仏壇のあった「奥の間」と続く。これらの部屋は、主の生活の場所である。商売に使用する2階の天井を高く取っているため1階の天井は低くなっている。階段下には、「板の間」が「台所」とつながっている。「板の間」の下には「室」と呼ばれる地下室があり、保存場所として利用していたと思われる。「台所」奥には浴室・便所があり、裏通りになる。「奥の間」は縁側を挟んで中庭に面する。中庭は屋根雪落としの場所も兼ねている。縁側にも拭き漆塗りの階段がある。中庭の奥に土蔵がある。土蔵の造りはかなり古く建設時期は建物と同じではないかと思われる。この建物には人口が4ヵ所あり、客同士が顔を合わさ無いようにしたものと思われる。

Gyy594w6_s  2階の間取りは、通りに面して10帖・6帖・6帖の3間続きの部屋がある。通り側に拭き漆塗り板張りの縁側がある。10帖の部屋には2間の床の間があり、下の6帖には置き床がある。この部屋には長押が付いていないが柱には取付けの後が残る。一度茶屋制度が廃止された時に長押をはづした名残と聞く。壁の色は群青で塗られている。
Nlflwaoe_s  4.5帖2間続きの次の間を挟んで、12.5帖と7.5帖の広間になる。この部分は2.5間の床の間の造りや、照明器具はその当時の物である。中庭に面する縁側はウグイス張りの床である。壁の色は朱で塗られ柱等の造作材は拭き漆塗り仕上げとなっている。中庭を囲むように縁側が続き、4.5帖と6帖2間続きがある。この部屋の天井はへギ板貼りである。
 1階から2階に上がる階段は朱塗りの豪勢なものだった。

2008年6月19日 (木)

ロン・ミュエック展ユーチューブ画像

 先日、金沢の21世紀美術館で開催されている、オーストラリア出身の芸術家ロン・ミュエク展を見てきたが、YouTubeにも画像があったのでアップする。

2008年6月18日 (水)

ロン・ミュエック展

Hwzorp0l_s  金沢21世紀美術館で、現在最も注目される作家、ロン・ミュエックの個展が開かれていることを知り、妻が金沢に行きを計画したので、同行することにした。
 映画やテレビ番組用の模型作りの経歴をもつミュエックは、シリコンやファイバーグラスといった素材を駆使し、古典的な彫塑の手法を用いて、人間の身体を精緻な彫塑によって表現している。 長く綿密なプロセスを要する制作の中で、 髪や皮膚の下の血管まで克明に描出する極限のリアリズムと、巨大であったり極小であったりするサイズの非現実性が交錯し、強烈なメッセージを伝えてくれる。 今回は最新作「ガール」が日本初公開であった。入館料800円(高齢者割引)を支払って入場する。写真撮影は禁止だったので、言葉でしか伝えることはできない。
 最初に入った部屋は「マスク�」と呼ばれる作品だ。男性の大きな顔が横たわっている。髭の1本1本まで実にリアルだ。
 次に「カプーアの部屋」に入る。部屋の中は薄暗く、斜めの壁の中央に黒っぽい楕円が描かれている。まるでブラックホールのようである。なんか不思議な空間であった。カプーアの部屋は常時公開されている作品のようだった。
 2番目の部屋には「舟の中の男」が展示してあった。ボートの中に小さな男性が座っている。ボートの大きさは普通の大きさだが、男性は小さくデフォルメされていた。
 3番目の部屋には「マスク�」が展示してあった。正面から見た黒人の大きな顔だ。色といい、目や鼻、口びるなどいずれも大きさを除けば、本物そっくりだ。
 4番目の部屋には「イン・ベット」と呼ばれる作品だ。女性はベッドの上で布団をかぶっている。作品の大きさは162cm×650cm×395cmととてつもなく大きな作品だ。
 5番目の部屋には「野性的な男」「ガール」「寄り添う恋人たち」が展示してあった。特に「ガール」は新生児であるが、大きさは110cm×502cm×134.5cmとこれも肝をつぶすような大きさだった。へその緒などリアルだった。「寄り添う恋人たち」は逆に14cm×65cm×355cmと小さな作品で、人形のようだった。

Knahugi5_s  最後にレアンドロ・エルリッヒのスイミング・プールを見る。そこで一番始めに出会うのは、理解しがたい不思議な光景だ。水が溜まっているとおぼしき内側の空間では、人々が自由に歩いたり、こちら側を覗いている。その不思議さに魅せられた人は、屈み込んだり、足を伸ばしたりしている。これも不思議な世界だった。
Abekivxd_s  無料ゾーンにも印象的な作品があった。まず、ヤン・ファーブルの「雲を測る男」。快晴の空にうっすらと伸びる雲を黄金色に輝く男が定規で測っている風景がなかなか面白い。加賀友禅がモチーフの壁と揺れる椅子に座って、「雲を測る男」眺めていると時間を忘れてしまいそうになった。
 美術館の中で、フランソワーズ・モレシャンさんに出会い、一緒に記念写真を撮らせていただいた。
 ロン・ミュエックの詳しい内容はここにも?

クリック

2008年4月29日 (火)

姫路菓子博雑感 その4

Bnbna_tz_s  「和の匠館」を出て再びメインテーマ館の横を通って「夢のスイーツカフェ」「お菓子の工場」などを通り、行列の長い日本縦断「お菓子めぐり館」を横目で見ながら交流の舞台に行く。ここでは大道芸があるというのだ。でも行ってみると大道芸などしていない。近くにインフォーメーションがあったので、尋ねると時間毎にしていて、この時間はしていないという。ここでも肩すかし。神戸まつりなどではどこかで何かをしていて観客を喜ばしているのだが・・・sign02sign02angryangryangry
Ag7lwvfe_s  比較的行列がない「昭和おもちゃ館」を覗く。昭和のおもちゃが少し展示してあったが大部分は駄菓子を売っていた。すいているはずだ。shocksadcoldsweats02shock
 ふれあいステージを覗くと、どこかのラジオ放送局の中継をしていた。
 最後にお菓子学校に行く。お菓子の実習中だった。クッキーを焼いていた。でも、生徒の作品の中には力作があり、姫路城もあった。メインテーマ館にはお菓子の姫路城もあるそうだ。生徒がここの姫路城はそれより小さいですが出来映えは良いと自慢していた。

Bkgyzhee_s  会場を出て姫路城内堀巡りをすることにして、乗船場に向かう。この博覧会の期間中限定で、内堀巡りをしているという。船は滋賀県の近江八幡の水郷巡りの船を使用していた。船頭もそうだろう。水面から姫路城を見る機会もないことから、予約を入れて昼食にした。
Gk2ianot_s  早速船に乗り込み、ガイドさんの説明を聞く。築城以来の原生林も残っている。藤の花が咲いていた。水面から姫路城も見ることができた。滅多に見られない景色なので新鮮に感じた。

2008年4月28日 (月)

姫路菓子博雑感 その3

R_5jvnlm_s  野点庭園を後に、テーマ館に行ってみることにした。ここからテーマ館である全国工芸菓子館「和と洋のシンフォニー館」までは一方通行だ。
 最後尾から3時間の待ち時間だとスタッフの方が言っていた。近くまで行って様子を見ることにしたが、非常に混雑しているので、後戻りしようとしたが、一方通行のため元に戻ることができない。ナンタルコトサンタルチーアcoldsweats02coldsweats02coldsweats02
 大廻りしてやっと元の喜斎門ゲートに戻る。車いすの方も諦めて戻っていたが、大変だろうなと思った。やはりここでも身体障害者に対する配慮が足りないと感じた。

Erb0dz0k_s  そして再び全国工芸菓子館「和の匠館」の行列に加わる。1時間半くらいの待ち時間だった。同じ列に、お年寄り、子供連れ、車いすの人なども並んでいた。中にはいると大勢の人垣ができており、遠くからしか作品が見えない。子供や車いすの人達はとても見られたものではなかった。
 飛ばし飛ばし作品を見たが、いずれも菓子職人の力作だった。菖蒲や牡丹などの花を題材にした作品、鶏や鷹などの動物をイメージした作品、清水寺など建物を取り入れた作品、祭を題材にした作品、キャラクターを取り入れた作品など、本物と見間違うほど精巧にできていて、色や形など、これがお菓子でできているとはとうてい思えなかった。
 残念だったのは、写真撮影が禁止されていて、お伝えできないことだ。スタッフの方に聞くと、混雑しているので撮影で列が中断すると混乱するからだと言っていた。作品を模倣されると困るのではないらしい。それなら中断しない範囲で許してはどうかなsign02sign02sign02そうすればPRになるのではないかsign02sign02sign02

2008年4月27日 (日)

姫路菓子博雑感 その2

Tg9zzi34_s  夢のお菓子ランドの内に入ると写真通りの行列だ。ここはお菓子メーカーが出展していて、お子様向けのイベントが用意されていた。でもこの混雑の中で、子供づれのお母さんや、車いすの人達は困惑していたに違いないと思う。coldsweats02行列でいやな思いをして、中に入って再びいやな思いをする。coldsweats02早々に、退散。
 外に出て、ビールをのむ。缶ビールは350mlで400円だ。たこ焼きが400円。兵庫県の主催だと聞いていたので利益は取らないのかと思っていたが、会場外の大手前通りで売っている露天商の値段と同じだった。弁当や食べ物飲み物など会場内の物価は高いと思った。angryangryangry

Tlcqmpbs_s  休憩を終えて、姫路の城下町コーナーに行く。ここは割とすいていた。姫路のお菓子だけかと思いきや、神戸のお菓子、長崎のカステラ、京都の八つ橋などを売っている店が並んでいた。テーマに沿った品物ではなかった。城下町とは名ばかり、華奢な建物に、ちょっとがっかりした。shock
X0zz1isc_s  喜斎門ゲートの横を通り、姫路美術館の前にしつらえられた野点庭園「菓心庵」では、お茶の接待(600円)があった。好古園の茶室、双樹庵で頂いたお茶は500円だった。
いかにも菓子博に来た観光客から集金しているように感じられた。angry

2008年4月26日 (土)

姫路菓子博雑感 その1

Ik0fcjdl_s  昨日から姫路菓子博を見に行く。甘党ではないので、菓子には余り興味はなかったが、前売り券を買っていたことと、友人達が親睦をかねて行こうということになり、同行する。
 姫路駅で下車、お城の方に歩いていく。朝10時頃だったが、菓子博に向かう人であふれかえっていた。4月18日から4月24日の1週間の間に21万人あまりが訪れたそうだ。2、3日前に友人から、メインゲートは混雑しているよとの情報が寄せられていた。
 この日は、メインゲートは入場に時間がかかると思って動物園前ゲートから入場することにした。平日であったが、メインゲートよりはすいていたのでスムーズに入場することができた。手始めに兵庫のお菓子館にいく。行列ができていて入場に30分かかった。内容的には兵庫県で作っている菓子の展示だった。少し期待はずれだった。
 次に夢のお菓子ランドに入場すべく行列に入る。1時間待ちだ。身体障害者が健常者と一緒に並んでいる。どうも不思議な光景だった。何処のイベントでも通常は身体障害者などには、配慮しているがこの博覧会では、その配慮がされていなかった。特別の配慮をすべきだと思った。

Wpuj6len_s  ここも内容は、子供向けで菓子メーカーのコマーシャルのようであった。出口近くになって、始めて力作が出展されていた。

2007年12月13日 (木)

チョット高岡

 計画では金沢へ行くことにしていたが、高岡で乗換時間があったのでホームを出る。駅構内をぶらぶらしていると掲示板に高岡の観光マップが貼ってある。見ると何か面白そうな町である。
 いつも北陸地方にきても金沢とか富山などには行くが高岡で下車したこともないので、この町に興味がなかった。でも何か興味が湧いてきたので早速、近くの観光案内所を訪れて高岡のタウンマップを入手する。するとそこには「高岡大仏」「土蔵造りの町並」「千本格子の家並」「八丁道」「蒲鉾」「藤子冨士夫」「大伴家持」「ぎんぎんぎらぎらぎん」「滝の白糸碑」など面白そうな場所があるではないか。

L76hz4ml_s 妻と相談して、急遽金沢へ行くのを止めて高岡の町を見ることにした。  駅を出ると正面には万葉歌人の大伴家持像が立っていた。「大伴家持は天平18年(746)からの越中在任5年間に220余りの歌を詠んだ」と書かれていた。

Xj35eo_c_s  奈良の大仏、鎌倉の大仏などは知っているが、高岡にこんな凄い大仏があるのは知らなかった。駅で聞くと「この大仏は修理中だったが、最近顔や胴の部分の修理が終わって、見えますよ」といわれ、初めに「高岡大仏」を見に行く。説明によると、奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」は、伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて完成したもので、総高15.85m、重量65tというスケールの大きさだった。 次に高岡古城公園に行く。この公園の中を多くの人達が散策を楽しんでいた。公園を出て「滝の白糸の碑」を見る。
Mb4vglmi_s  坂下町通を通って土蔵造りの町並に入る。1軒1軒の造りが全部異なっていた。なぜだろうかと不思議に思いながら見ていると、ボランティアで町を案内しますといって説明をしてくれた親切な老人がいた。
Yzdhbagv_s  その人の話では、高岡の町は明治33年(1900)6月に未曾有の大火災に見舞われ市域の6割が焼失壊滅状況となった。その前年富山県例が施行され、繁華街の建造物は防火構造が義務づけられていたので、その後の復旧では土蔵造りとされた。平成12年、町並は伝統的建造物保存地区に選定された。ちなみに同様の有名な町としては、函館市港町、角館武家町、白川村萩町、近江八幡商家、五個荘町農村集落等全国で60数カ所ある。
 その老人の住んでいる家は、やはり土蔵造りで、「ぎんぎんぎらぎら」(童謡 夕日)の作曲家 室崎琴月の生家であった。建物の構造なども詳しく説明があった。どの建物も個性があって本当に美しく見ていて飽きなかった。列車の時刻の関係もあり、老人と別れて帰る。

2007年12月12日 (水)

絶景だった!!

Kck0boow_s  翌朝、運が良ければ、朝日が見えるかも知れないと思い、夜が明けるのを待ちかねて、海岸に出てみる。
雨は降っていないが、少し曇っているようだ。防寒着を着て、海岸に出る。夜が明けてくるが、まだ雲がたれ込めて立山連峰は見えない。今日はダメかと思いながらしばらく待っていたが、朝食の時間も迫ってきたので、宿に戻る。
 この宿は昭和天皇、皇后宿泊記念碑が玄関先にあったので女将に聞くと、この周辺の景色がよいので山や海を見るために両陛下が宿泊されたそうだ。その時のメニューや写真が飾ってあった。
 天気も少し回復してきたので、見える内に見に行こうと荷物を準備して出かけることにした。
 再び海岸に出て、晴れるのを待つことにして、時間を延長して晴れるのを待った。
 9時頃になって大分晴れてきて、立山が曇天の中に浮かび上がったのでシャッターを切る。看板にあったようにすっきりとは撮れなかったが、一応納得して帰ることにした。

7jtsfidi_s 駅に行き改札を入るときに、駅員に入鋏を求めると「「ここでは入鋏しません。私は観光協会の人間でJRの人間ではありません。どうぞ入ってください。」という。そしてこの景色について尋ねると「今月は12月6日が最高でした。こんな日は滅多にありません。又きてください。」と言われホームに入る。  ホームに入ると駅の中程に「首切り地蔵尊」の看板があり、見ることにした。この地蔵は戦国時から首切り地蔵尊と伝えられ、能登通いの漁船、旅人に海難除けの守り神として尊ばれている。
 天正5年(1577)7月、上杉謙信は、森寺城を攻めるにあたり、軍船を連ねてこの沖合にさしかかると、船が少しも進まなくなった。謙信の武将である有坂備中はこの不思議こそ魔神の禍に違いないと、上陸し松の間を探ったところ、そばにあった地蔵がニコニコと笑っていた。備中は「魔神の正体見つけたり。」と一刀のもとに首を切り離したとろ、舟がたちまち前進して目的地に向かうことができた。なお、同年9月謙信は七尾城を攻略し、能登の地一帯を全て占領した。人々は今も備中の「首切り地蔵尊」としてこの話を今に伝えている・・・高岡市観光課説明より
 妻は満足したらしい。変わった地蔵尊にも巡り会って楽しかった。そして氷見線で高岡に向かった。smilesmilesmile

2007年12月11日 (火)

絶景かな!絶景かな!

 「青春切符18」を使用して立山連峰と海と島が美しいと言われる「雨晴海岸」へ行くことを計画する。
 大阪を7:45発敦賀行き新快速にのり、敦賀から金沢へ、金沢から普通列車で、高岡へ行き、氷見線に乗る。
 大阪では通勤客と青春切符の客とが入り乱れて京都までは超満員だった。電車は12両編成で前8両は長浜へ、後4両は湖西線まわりで敦賀へ行く。列車は山科で分離され、ここを過ぎると扉を開けるのは、暖房のため手動となる。琵琶湖の朝の景色を見ながら、列車は北へ北へと進む。近江塩津から北陸線に入り、長いトンネルを抜けると敦賀だ。
 トンネルを出る頃、車内放送がある。「この列車は4番線に到着しますが、普通列車の金沢行きはこの前方にある5番線から発車します。乗換時間は3分しかありませんので急いでください。」と放送される。放送後、乗換客が前の車両にぞろぞろと移動する。当日敦賀では「敦賀・気比の松原ウオーク」も計画されていて参加する客も多かった。敦賀に到着すると小走りで金沢行きの飛び乗る。列車は3両編成だったが、一応全員座れた。金沢・高岡で乗り換えて氷見線「雨晴」駅に着いたのは、3時頃だった。

Vetbdtvq_s 駅前には雨晴海岸の写真の看板があった。雨晴海岸(あまはらしかいがん)は、富山県高岡市の海岸。能登半島国定公園に含まれ、日本の渚百選に選ばれている。白い砂浜と松林の美しい海岸線が続く。
Kzubumt9_s ここ雨晴海岸からは、海の向こうに雄大な立山連峰を望むことができる。海の上に3,000m級の山々を望むことができるのは、世界でも3か所(チリのバルパラインから見るアンデス山脈・イタリアのナポリから見るベスビオ山:地理学者の志賀重昴氏による)だけだそうだ。今年の青春切符のパンフレットにも出ている。  早速、海岸に出てみる。女岩は見えるが、曇っていて立山連峰は全然見えない。チョットがっかりだった。気温は可成り低く3度くらいであった。「雨晴」というユニークな地名は、義経岩に伝わる雨宿り伝説(『文治三年(1,187年)に源義経が北陸路を経て、奥州下りの際ここを通りかかった時、にわか雨にあい、海岸沿いの岩(義経雨はらしの岩)の下に家来ともども、雨宿りをした』)によるものだ。
Wt3ji3qb_s  氷見線雨晴駅で下車してすぐのところにある。駅の近くには、義経伝説の残る義経岩義経社がある。曇っているせいかずいぶんと暗くなってきた。義経社だけ見て宿入りした。
 ホテルの女将さんの話では、「写真家の人が大勢撮影に訪れて民宿、ホテル旅館は繁盛する。特に冬の季節は氷見の鰤と、富山湾の海水温が気温より高く水蒸気が出て雄大な景色になり、太陽が昇る時間帯、波の大きな時期などは特に人気が高いらしい。しかし、晴れればいつでも見ることができるというものではないのが残念ですが、 比較的よく見ることができる時期は12月から2月頃のよく冷え込んだ晴れた日で、チャンスは非常に少なく、だから何度も訪れる人が多い。」と言っていた。明日も天候が良くなればと祈りつつ就寝する。

2007年9月 4日 (火)

姫路好古園

Vso6f4ys  青春切符は最後の1枚となり、通用期間も迫り、今日しか予定が取れない。
 姫路城には何度も行っているが、好古園には行ったことがないので、暑いが思い切って出かける。sweat01sweat01sweat01
 お城を観光した後、好古園に行くことにした。
 好古園は、姫路城の西側にあり、西御屋敷庭園で、世界文化遺産の姫路城を借景として平成4年に開園した池泉回遊式の日本庭園である。1985年以来の発掘調査で確認された西御屋敷跡・武家屋敷跡・通路跡などの趣の異なった庭園で、面積は約1万坪だ。姫路城を観光した外国の方々の来園が多そうだ。やはり日本庭園には魅力があるのだろう。smilesmilesmile
 上の写真は姫路城西の丸から見た天守閣

Eiu4zvvb_s  好古園の屋敷門
Dcrmrlk2_s  渡り廊下は庭園のシンボルでもあり渡るときに太鼓に似た音がする。この景色は左手の景色だ。
Engtxqf0_s  潮音斎の観庭台から姫山の原生林を借景にした庭。
V8988ddg_s  御屋敷の庭から潮音斎を望む。池には沢山の錦鯉が彩りをそえている。
Ihymmlyt_s  水の流れもゆったりとした明るくてのびのびでき津庭だ。流水亭もある。

2007年9月 2日 (日)

豊川稲荷

Afn4vcky  昨日は青春切符を使って、一度は行ってみたいと思っていた豊川稲荷へ行った。少し家を出るのが早かったため、大阪駅に早く着いたので、大阪を6:25の快速電車で米原へ行き、米原8:43発の特別快速で豊橋までに行く。
 計画では大阪7:17発の新快速で米原まで行くつもりだったが、この列車だと米原には8:38に着き、乗換時間は5分の予定だ。案の定、列車は3分程度遅れたので乗換時間は2分となった。私は早く行ったため、ゆっくりと座席を確保できたが、急いで乗り換えた人達はほとんど座ることができなかった。豊橋まで約2時間、ラッシュ時のように車内は、ぎゅうぎゅう詰めに混んでいた。この列車は土日運転の列車だ。おそらく観光用に仕立てたものであろう。(平日は大垣で乗り継ぐので、米原から豊橋への直通は無い。) 車窓から変わりゆく景色をゆっくり見ながら、豊橋まで行った。
 豊橋からは飯田線に乗り継ぐ。飯田行きの普通列車だが、ホームに行くと既に到着していて満員だったが飛び乗った。そして10分ほどで豊川に着いた。

 早速、表参道を通って豊川稲荷の総門に着く。でも何か奇異な感じがする。鳥居がないではないか。お堂があちらこちらにある。本堂ではお坊さんがお経を上げている。お経はなにやら般若心経に似ているようだ。でも境内には、鳥居や本殿、豊楽殿等もある。・・・・アレーツ!お稲荷様って神様じゃなかったの・・・・
 心に少しわだかまりを持ちながら、境内全部のお堂などをお参りした。お稲荷様なので赤い鳥居があるのかなあと思いながら中を観光。でも鳥居はなくて、千本幟や狐の石像は可成り奉納されていた。幟には「豊川ダキ尼真天」と書かれていた。観光協会に行きいろいろ尋ねた。説明によると、概略次のようであった。
 豊川稲荷は正式には豊川閣妙厳寺と呼ばれ、1441年旧暦11月22日永平寺御開山道元禅師から6代目の東海義易禅師により曹洞宗の寺として創設された名刹である。本尊は千手観音菩薩で鎮守として、通称豊川稲荷で親しまれている「豊川ダキ尼真天」を祀っている。寒厳禅師が修行のために入宋し、帰国の折に妙相端麗、稲穂を荷い、宝珠を捧げ、白狐に跨る霊神が現れ、それに感動した禅師はその姿を刻み守護神として祀られた。
 なるほど説明を聞くと、やはりお寺なのだ。納得。

お参りを済ませ、帰宅。553kmの旅でした。
上の写真は豊川閣妙厳寺(通称豊川稲荷)総門

2nav3guy_s  JR駅前の狐のモニュメント
6mbl5nnz_s  豊川稲荷御本殿
M9htujkp_s  鳥居から見る豊川稲荷本殿
Mcefot6m_s  大勢の人が奉納した千本幟
Jlsuee8w_s  大勢の人が奉納した霊狐塚
Xkkegzhc_s  妙厳寺法堂
C48xb05i_s  豊川稲荷の門前町

2007年8月 7日 (火)

倉敷

8s8txrit  昨日は青春切符を使って倉敷に行った。久しぶりに大原美術館に行きたいと思ったこと。日曜の新聞で、倉敷で七夕祭りが催されていると聞いたからである。倉敷で下車して、中央通りを南側へ約800m歩くと美観地区の入口に到着する。美観地区の主な通りは倉敷川を中心に構成されていて、商店・郵便局・証券会社、屋敷等、古い町並みが並んでいる。倉敷川の外れには、白鳥が泳いでいた。この町には何度も来ているので、この地域のことは割と知っているつもりだった。
 大原美術館に行くのが目的の一つだったので、まず最初にいく。大原美術館は事業家「大原孫三郎」が画家「児島虎次郎」を記念して、昭和5年に設立された私立美術館である。 本館には、モネの「睡蓮」ゴーガンの「かぐわしき大地」セガンティーニ「アルプスに真昼」モディリアーニ「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」エルグレコ「受胎告知」フォートリエ「人質」などがある。分館には、岸田劉生「童女舞姿」小出楢重「Nの家族」などがある。本館、分館の他、工芸館、東洋館などもあり、棟方志功の「流離抄版画柵」なども展示されていた。
 音声ガイドを借用して涼しい場所で、じっくりと鑑賞することができた。
 美術館を出て美観地区を散策するも、七夕祭りをしている様子がないので、インフォメーションセンターに行き、何処でしているか尋ねる。「今年、七夕は今年8月4日、5日に終わった。」と言うことが判り、少し残念な気持ちだった。代わりに、7日行われる「夏祭・七夕祭」の神社が近くにあるので、そこに行ってはどうかと案内された。早速その神社を訪ねることにした。
 その神社は「阿智神社」という。訪ねてみると、祭の準備中だった。作業員の方々が照明や櫓などを造っていた。
 近くに地元の人がいたので声をかけ、いろいろ訪ねる。その人の話によると
 「夏祭りは、半年の間に溜まった罪穢を人形(ヒトガタ)に移し、焚き上げたり、短歌を唱えて茅の輪をくぐりけがれ祓う。同時に七夕祭も行い、短冊をつるしたり、布ぞうりを作ったりし、また昔懐かしいパンパン菓子のふるまいや神賑い、盆踊りも行われ、盛り上がる。
 その催しは7日の午後4時から行われる。そして今年は10年に1度の御砂持神事という、特殊な祭も同時に始まるようだった。この祭は、今から約250年前より始まったといわれ、威勢のよい掛声と共に、樽御輿(盛り砂入り)を担いで歌を歌いながら、神社の階段を駆け登って、茅の輪をくぐり、砂をおろし、祭典に加わるという祭だ。」と言っていた。
 ここを後に、倉敷アイビースクエアを観光して帰宅することにした。(上の写真は倉敷川の白鳥)

Ol5e8m2x_s  大原美術館
_mwlmp_v_s  阿智神社の入口の茅の輪
_5f0itrv_s  阿智神社本殿 白壁の蔵の町、倉敷美観地区の一角にある鶴形山の頂上ある。
Vvqo6mp1_s 倉敷アイビースクエア 古来この一体は「小野が城」又は「城の内」と呼ばれていた。その後、倉敷紡績所が設立されて、隆盛をきわめた。これを記念して保存地区になった。
90zh9ljl_s  児島虎次郎記念館 児島虎次郎の作品を展示している。

2007年7月25日 (水)

万華鏡

Tzzwoeub  2002年にギネスブックに記載された当時世界最大の「万華鏡」が三河にあると、みのもんたのTVで知った。
 妻は万華鏡が好きで、そこに行こうと言うことになり、同行することにした。場所は愛知県西尾市である。JR蒲郡から名鉄蒲郡線、西尾線に乗り継ぎ、西尾駅からバスに乗る。片田舎に三河工芸ガラス美術館があり、そこに万華鏡があった。入場料を払って中に入る。2階は撮影禁止。3階は撮影OKだった。
 2階には「スフィア」と名付けられた巨大万華鏡があり、生命の起源からのストーリーが展開され、最後にはビッグバンに至る美しいものだった。その他に「四季」をイメージした彫刻鏡の部屋があり、春、夏、秋、冬、を全面鏡張りの中で表現しており、何とも幻想的な空間だった。また、スーパーステンドグラス「光彩」の展示やアートワーク「昇るオリオン」、目の前で泳ぎ出すカエルのガラス彫刻、「湖畔」と名付けられた水盤、映画のワンシーンを再現した「ローマの休日」など、ガラスを使用したアートが展示されており、いずれも感動しながら鑑賞した。但し、巨大万華鏡は愛地球博に展示していたものの方が迫力があった。
 3階は「生活の中のアート」を主題として、生活の中に彩りをそえる品々を展示。展示してある万華鏡は手に触れて、美しい映像を楽しむことができた。中でもスマイル万華鏡などが楽しかった。
 その他に「ガン・ミュージアム」があり、映画とモデルガンでつづる「てっぽう展示館」は映画の中でヒーロー達が使用した銃がどのようなものであったかをモデルガンやエアーガンをつかって展示していた。本物そっくりの銃に驚いた。
 この美術館には、体験コーナーなどもあり、サンドブラスト、ステンドグラス、バーナワーク、万華鏡などを作る体験ができる。
 詳しくは下記のホームページに記載されているので興味のある方はどうぞ。

http://www.japan-net.ne.jp/~artglass/menu.htm
上の写真は三河工芸ガラス美術館の外観
M3stwnyf_s  展示品の万華鏡を覗くと
Sngywpxt_s スマイル万華鏡を覗くと
Lq4askd1_s 鉄砲展示館のモデルガン
Njmnblux_s  鉄砲展示館のモデルガン

2007年7月24日 (火)

青春してまーす

Mrt5ffr4  夏休みに入り、JRの「青春18切符」が使えるようになった。早速、使用しようと思い、計画を立てる。
 今年は、第1回目として妻の意向も聞き「豊川稲荷」と愛知県の西尾にある、ギネスブックにも載ったことがある世界一の「万華鏡」を見たいというのでこれを計画。
 春休みは「青春18切符」は8000円だった(80周年記念)が今回は11500円だ。
 大阪駅6時38分発の新快速で、米原に向かう。列車は満席だ。乗った人は、青春切符を使用している感じの人が多いように思った。新大阪で1人下車したがほとんど降りない。更に人は乗車してくる。高槻でも同様。京都でも同様。乗る人が多くて降りる人はほとんど無かった。草津、守山、野洲、近江八幡では通勤地獄のように、車内はすし詰め状態だった。やがて彦根に到着。どっと大勢の人が下車しほとんど立っている人がいないくらいになった。座席の様子を見ると、大阪駅から座っている人達はまだ乗っていた。8時、米原に到着。8時5分発の大垣行きに乗り換える。ここでは、乗客のほとんどが学生か、老人で青春切符使用者のように見えた。
 大垣駅ではホームを渡って豊橋行きに乗換。座席はほとんど空きがなかった。岐阜あたりでは立ち席も増えて、名古屋、金山で更に増加。刈谷、安城、岡崎では降りる人が多くなり、蒲郡に着く頃にはずいぶんと空いてきた。大阪から246kmだった。
 蒲郡の駅は結構広く、名産は何だろうかと物産店を覗く。三河花火(岡崎)、三河鋳物(西尾)、三州黒瓦(豊田)などが有名な所だった。
 蒲郡から名鉄蒲郡線で吉良吉田へ、更に西尾線で西尾駅に行く。電車は単線で三河湾に沿って走る風景は田舎の原風景だ。駅名には結構面白いものがあると思った。鹿島(茨城県にもある)、鳥羽(三重県にもある)、横須賀(神奈川県にもある)、吉良吉田(赤穂四十七士と関係あるのか)など。
 吉良に興味があったので調べてみると、「江戸時代、町域は西尾藩、大多喜藩、沼津藩、川越藩、寺社、旗本といった様々な領主の下にあり、江戸時代初期の領主に旗本、吉良上野介がいた。」そうだ。やはり赤穂浪士と縁があったのだと思った。又、吉良の仁吉の里等もあるそうだ。
 西尾駅まで約45分、電車はコトコト、何度かすれ違いの待避線に入りながら単線を走る。窓にカーテンが・・・・観光バスなどでよく見かけるものだが。電車で見るのは初めてなので珍しかった。
 車内は地元の学生で一杯だった。夏休みだがスポーツの練習でもあるのだろうか。?そして西尾からバスで更に上矢田北まで行く。
 三河工芸ガラス美術館にて1時間ほど鑑賞して帰宅する。・・・・・この美術館については別項にて紹介する・・・・
 帰りは西尾駅までタクシー。今回は豊川稲荷は割愛して蒲郡から同じルートにて大阪へ。どの線も青春切符族で満員状態。通勤の方、座れなくて、ご迷惑をおかけしました。本日のJR走破距離は約550kmでした。青春切符は2300円でした。smilesweat01smilesmilesmile
上の写真は写真は蒲郡駅

D4qbrhi0_s  三河地方の名産品 三河花火 三河の地酒 三州黒瓦
Acbkrtuj_s  名鉄蒲郡線の電車とカーテンのある窓

2007年5月27日 (日)

花の写真(お知らせ)

7lnkijlu  なばなの里の花の写真を「おとむさんのアルバム」にアップしています。smile

2007年5月22日 (火)

なばなの里(バラまつり)

Bg8r1jpm  翌日4家族でなばなの里に向かう。
 ここはアンデスの花園と言われる「ベゴニアガーデン」が超有名で9000�の大温室に球根ベゴニア、木立ベゴニア、フクシアなど色とりどりの花を咲かせている。いつ見ても心が休まる。初めて訪ねた人もおり、感動していた。この温室の中庭ではバラまつり我開催されていた。バラは800種4000本あるとパンフレットのは書かれていたが、いずれのバラも大変美しく、手入れが行き届いて、大勢の人が鑑賞に訪れていた。smilesmilesmile
上の写真はベコニアガーデン

Nxm6pftl_s  球根ベゴニア
Gv9mrrom_s  フクシア
3fk9zxgl_s  バラ(ダイアナ プリンセス)
Kfumkjs5_s バラ(プリンセス マサコ)

2007年5月 2日 (水)

揚げ足鳥

Aleya1fa  義弟と妻が
「学生時代に食べた鳥の唐揚げが美味しくて、その味が忘れられない。どこかに店がないだろうか。精進揚げも済んだことだし、探して食べに行かない。?」
 ホテルで聞くと2軒の美味しい店を紹介してくれた。タクシーに乗り、お目当ての店に向かう。1軒目の美味しい店「若鳥」に着くが、本日休業の看板がcoldsweats02・・・・がっかりして、2軒目の店「万里」に向かう。
 途中でタクシーの運転手も
car「この辺の焼き鳥は普通の焼き鳥でなくて、ひな鳥の骨付きモモ肉に個性的な下味とパン粉をつけ、油で揚げて表面をパリパリに、それでいて、中は柔らかくジューシーで、そのうえガーリックパウダーが、その名通りに若鳥の旨味をぐんぐん引き出して強烈に自己主張している。そこにビールでも流し込めば、もう至福ですよ。」と言っていた。
car「先日も東京から来たお客がいたが、感動して帰ったよ。」
car「昭和33年頃、地元の屋台で始めたメニューが、そのおいしさに評判を呼び、形を変えて大きな店になり、今も大繁盛している。」
私は期待をより一層膨らませた。
話をしている内に、店に到着。店は予約で満席。coldsweats02
あああsign01sign01sign01sign01coldsweats02
交渉すると何とか予約時間の合間に入ることができた。smilesmile
 私は良く判らないので黙っていたが、弟と妻が昔の記憶をたどって注文する。しばらくすると品物が出てくる。豪快な大きさの「揚げ足鳥」。smilesmile
(「人のあげ足を取る」って言葉を聞くことがあるが、おなじだろうか「揚げ足鳥」ってsign02sign02sign02sign02sign02
 作法もなく豪快にパクツクのが、良いらしい。ビールに非常に良く合うし、美味しい。繁盛しているわけが判った。満腹になり、タクシーを呼ぶ。
 タクシーの運転手が
car「美味しかったですか。」
「美味しかったです。初めて食べた味でした。」
car「家では妻は酒が飲めないが、この店には焼きおにぎりがあるので、食事をしに時々来ます。息子はここの揚げ足鳥は7本くらい食べたことがある。」と言っていた。
 おとむさんは1本食べるのが精一杯だった。話しているうちにホテルに到着。smilesmilesmile
写真は1本に繋がっている「揚げ足鳥」です。

 自宅に帰ってからネットで調査すると、四国中央市には約30軒の焼鳥、鶏料理店があり、市の名物となった『揚げ足鳥』は、その大半のお店で供され、地元の熱狂的なファンに愛されて続けていると書かれていた。繁盛している訳がわかり、一段と思いを新たにした今日この頃でした。
なお伊予万里の
URLは
http://www.iyobanri.com/brand.htmlです。

2007年4月19日 (木)

たけのこ掘り

Wabpsc5x  友人の家に帰るとツバメの巣造りが終わり、巣の中にツバメがいるではないか。卵を抱いているのであろうか。ほほえましい風景だ。
 早速、筍掘りの服装に着替えて、竹山に向かう。入り口には猪を捕る罠が仕掛けられていた。筍を探すがなかなか見あたらない。猪に食べられたのだろうか、穴の傍に、新しい筍の皮だけがあちこちに散乱していた。友人は猪が食べた跡だと言っていた。山を登ったり、下ったり、目を皿のようにして探すがなかなか見つからない。coldsweats02coldsweats02coldsweats02今年は少し早いのだろうか、まだ猪に食べられてしまう量だけしか大きくならないのだろうか。友人はもう少し暖かくなれば猪に食べられても残るくらい生育すると言っていた。coldsweats02
 2時間ぐらい探して11本を見つけ満足して山を下りる。smilesmilesmilesmile
 昨日の酒も抜けて、心地よい疲れがあり汗をかいた。友人の家に戻り2家族で分配。ここで解散。再開を願って帰宅の途についた。帰りに河原城にも立ち寄る。smilesmilesmile
上の写真はツバメが巣ごもりを始める。

Xqxd_bem_s  大きな収穫に、車を持つ手も一段と力が入る
Slx5qutm_s  収穫した筍
Ap21sw_f_s  自分で掘った筍に感激
Gu3ibhvl_s  立ち寄った河原城

用瀬の流しひな

Bhndudqu  昨日の寒さが嘘のように良く晴れ、気温も高い。smilesun
 全国的に有名な「流しひな」行事が用瀬(もちがせ)で行われるというので立ち寄る。
 もちがせの流しびなは旧暦の三月三日のひなまつり、男女一対の紙雛を桟俵にのせ、菱餅や桃の小枝を添えて、災厄を託して千代川(せんだいがわ)に流す。無病息災や、幸福な生活を願う、情緒豊かな民俗行事である。昭和60年、県無形民俗文化財に“もちがせの雛送り”として指定されている。もともと物忌みの行事で、紙などで人形(ひとがた)を作り、これで体をなで、災いをその人形(ひとがた)にうつして川や海に流す行事から生まれた風習である。
 この行事がいつの頃から始められたのか、文献等の記録が少なく定かではないが、「源氏物語」に源氏の君が祓いをして人形(ひとがた)を舟に乗せ、須磨の海へ流すという著述があり、雛流しそのものの原型は、遠く平安時代にさかのぼるといわれている。
 ここ用瀬には今日まで、時代の変遷と共に形を変えながらも、“もちがせの流しびな”として受け継がれてる。昔は宿場町であったそうだが、この日は、観光客のために無料で家を開放して、雛飾りを見せていた。家によっては江戸時代からの現代に至る雛飾りを公開し、お茶やお菓子の接待をしているところもあった。河原では流しびなの行事があり大勢のカメラマンや観光客で賑わっていた。smile
 来年(2008年)は4月8日に開催されるそうだ。興味のある方は一度見に行かれては・・・・sign02sign02

Ttagclf0_s 公開家庭(尾崎家)の雛飾り、江戸時代から平成までの変遷がよくわかる
Nvevzpba_s 用瀬の街で賑わう屋台
Gkpswpls_s 流しびなを行う少女
Vynduwhy_s 大勢のカメラマン

2007年4月18日 (水)

三朝温泉

Wcn7zwog 朝、出発して高速バスに乗り河原にある、友人の家に向かう。そこで他の友人と合流。
 ツバメが巣作りのためにせっせと泥を運んでいた。パジェロに乗り換え三朝温泉に向かう。天候は曇りだが、気温は4度4月中旬だと言うのに真冬並みの寒さだ。途中、恩原高原にて小休止。周りの美しい景色に感激。標高が高いせいだろうか、白樺の林や恩原湖があり多くのカメラマンが訪れていた。
ここを過ぎて人形峠に向かう。人形峠は岡山県と鳥取県の県境にあり標高は739m。鳥取県側には1955年に発見された国内に存在する唯一のウラン鉱床がある。一時は国産資源活用の道も検討されたようだが品質が低く採算に合わないため採掘中止。2001年にはウラン濃縮原型プラントも閉鎖された。
人形峠環境技術センターを訪れて、ウランの製錬・転換、濃縮技術の仕組み、施設・設備の廃止措置の状況を見ようとを訪れたが、休館日であった。
しばらく走り三朝温泉の宿に到着。旅装を解いて街を散策。公共露天風呂(混浴)『河原風呂』が目に入る。ここは無料で年中無休で運営されているようだ。この温泉の名物だ。その他にも足湯が数カ所あり、人々が利用していた。橋にはカジカガエルの像もあった。散策を終えて宿に帰り、入湯。泉質はサジューム泉だ。温泉と食事を楽しみ。旧交を温めた。smilesmilesmile

9pl9kxkj_s 恩原湖畔
_vgrjrrk_s  人形峠環境技術センター
Dwkc_jas_s  公共露天風呂(混浴)『河原風呂』

2007年3月15日 (木)

なばなの里フォトストーリ

  なばなの里へ花を見に行ったときの記録です。
 ここにフォトストーリがあります。

2007年3月14日 (水)

なばなの里

Inz_tqni 月曜日は非常に寒い日であったが「なばなの里」(入村料1500円)に行った。。川津桜は満開の時期を少し過ぎた程度でまだ咲き誇っていた。花には鳥のめじろが沢山密を求めて集まっていた。緋寒桜も満開だった。入口にはチューリップが咲き誇り、あたり一面パンジーが植えられていた。ネコヤナギやトサミズキも芽を吹き始め、ミツマタや早春の花、サンシュも咲いていた。
外は非常に寒かったので、ベゴニアガーデンに入園(1000円)することにした。ここの温室は4棟からなり、ゴージャスな球根ベゴニアをはじめ、世界各国から集められた数百種1万2000株の豪華絢爛の花が見ものであった。温室は暖かく外の寒さに辟易としておった私達にとっては別世界であった。

Pgtgncax_s 球根ベゴニア
Tutrwzxc_s 緋寒桜
A9ifyyzq_s サンシュ
3nxwzasz_s ネコヤナギ

青春切符

Jpjpfx3w  青春切符を使って旅行する。今年は例年に比べて約3500円安い。1回あたり1600円で楽しめる。月曜、火曜とこれを使用したので、合計3200円だ。大阪駅→米原→大垣→名古屋→桑名→名古屋→中津川へ(普通切符は5460円)traintrain
 朝大阪駅7時3分発米原行き新快速に乗車。train南彦根を過ぎる頃から雪が降り出す。米原に着く頃には猛吹雪だった。snowsnowsnow当初予定は中津川に直行であったが、非常に寒そうなので、桑名に行くことに急遽変更。sunsun米原で大垣行きに乗り換え。列車は大変混雑していた。様子を見ていると皆さん青春切符の利用者のようだ。関ヶ原につく頃には大雪だった。大垣から浜松行きの新快速に乗車。やはり満員で座席は確保できなかった。train
 車内では学生風の女性2人と通勤しているオフィスガールと話をした。「何処に行くの。」「東京へ就職の面接に行きます。」「どちらから来たの。」「私達韓国人で、大阪○○大学に留学しています。今年卒業なので就職試験を受けるついでに東京見物です。」日本語が流ちょうなので「日本は長いの」「と聞くと「2年です。」「日本で何処か旅行しましたか?何処が良かったですか。?」「京都が一番。小樽が二番です。」「スキーは行きましたか。」「いいえ」ブログやホームページのことが話題になり、URLを教えた。名古屋まで話が弾み、あっという間についてしまった。混雑もかえって良かったなあ、出会いができてと思った。いろいろな方達と話ができる。これが楽しみでもあり喜びだ。smilesmile
桑名で降りてバスに乗り、carなばなの里へ。そこから中津川温泉(リゾート湯舟沢)へ行き旅の疲れを温泉でいやす。spaspaspa
 2日目は宿のバスで、中山道の中津川宿・高札場まで送ってもらう。carここから中津川宿を少し味わう。今はもう昔の面影はない。JRの駅から南木曽へ。南木曽駅からタクシーで妻籠宿へ行く。car月曜日よりは暖かいと運転手が言っていたが結構冷えていた。中国の方達が観光に来ていた。「どこから来たの」「台湾の台東です」「若い人、学生風の人、夫婦連れなど等だった。
 町は閑散としていたが、日本の原風景が見られた。いわゆる宿場町であり遠い昔を想像することができた。名古屋から来た団体の人と会話を交わす。日帰りで温泉入浴と妻籠宿のみのツアーであった。我々は乗り合いバスで馬籠宿へ行く。car乗ったときは8人位いた人たちも、妻籠宿の町外れで降りてしまい2人で貸し切り状態であった。峠を越えて馬籠宿に到着。ここは結構観光客がいた。宿場を散策。藤村記念館なども見て、中津川から帰阪することに。名古屋に着く頃には通勤時間帯となり、名古屋、大垣間は混雑、米原でも混雑しており座席確保は難しかったが1列車遅らせて乗車することにより、大阪まで全て座席確保ができた。楽しい旅であった。smilesmilesmile

Kcs2iqog_s 米原付近の吹雪
7serkemj_s なばなの里チューリップ
Wirouv0q_s

2007年2月11日 (日)

白川郷 萩町と五箇山菅沼集落 フォトストーリー

 岐阜県の北部、荘川の源流にあたる白川村の合掌造り集落は1995年に世界文化遺産登録された。その集落の中でも萩町合掌造りは114戸と最も多く残っている。半分くらいが現在も生活をしている。冬の雪深い村を楽しみにして行ったが、今年はあいにくの暖冬で、雪は非常に少なかった。まず、小型のバスに乗り、萩町城趾(展望台)に行き、町全体を見渡す。そこからは、徒歩で町内を散策する。最初に和田家を訪ねる。ここは国の重要文化財に指定されており、1573年に建てられたそうだ。白川村の初代村長さんになった由緒ある家だそうだ。次に神田家を訪ねる。ここは和田家の次男が、ここに居を構えたのが始まりで、この土地は当時、産土八幡宮の神田(しんでん)があったことから神田(かんだ)と名字を改めたそうだ。特徴は駒じり(耐震本組)、通し柱等他の家には見られない構造になっているとのことであった。萩町の合掌造りはすべて南北に窓があり、東西が屋根になっていると説明があった。窓は風通しを考え、屋根は朝日と夕日の熱を利用して雪を溶かすそうだ。耐震、防火、雪対策に知恵を生かした構造になっている。500年前の仏壇で有名な長瀬家、明善寺、民家園を見て、五箇山菅沼集落に向かう。
 この集落は全部で九戸しかないが、すべて現在も使用されており、すべてが茅葺きの家であった。合掌造りの屋根の葺きかえには、約2000万円かかるそうだ。今は国が9割、住人が1割負担していると言っていた。茅葺きは50年くらい持つそうだが、現在はススキ葺きなので30年しか持たないそうだ。

2007年2月10日 (土)

飛騨高山 まつりの森 夫婦獅子舞

 飛騨高山のまつりの森にある「高山祭りミュージアム」で夫婦獅子舞のからくりを見た。本物そっくりの演技に感動し、からくりでここまでできるとは驚きであった。さすがにからくり人形を屋台にのせているだけのことはあると思った。屋台会館なども過去に見に行ったが、本物は見たことがなかったので思わず見とれてしまっていた。皆様も一度行かれてはいかがですか。からくり演技の一部をアップします。

高山 まつりの森

Pmmgkhky 冬の雪の積もる所へ行きたいと妻が言うので早くから、2月なら雪が積もるだろうと高山や白川郷へ計画していた。しかし今年は例年になく暖かい毎日が続き雪が積もらない。米原を過ぎて大垣、岐阜に入っても白いものは見えない。地元の人は大変喜んでいるらしい。雪かきをしなくて助かると言っていた。・・・・・
高山市内に入る。日陰にかろうじて雪がある程度。
今回は高山祭りミュージアム「まつりの森」と「陣屋」に行こうと考えていた。
まつりの森は地中に大きなドームを造り、ここに高山まつりの屋台を飾っている。ここは地中であるため、気温が夏も冬も20度で一定していて環境がよいそうだ。中にはいるとまず目につくのが世界一大きな太鼓(直径は2m73cm、重さは4.5t)である。自由に太鼓をたたいても良いとすすめられたたいてみる。腹の底にズシーンと響く音に妻は大喜びだった。中にはいると屋台のからくりがスポットライトに照らし出され幻想的に浮かび上がる。ドーム内には常時7基の屋台が有り、入れ替え展示しているとのことであった。その他、夫婦獅子舞等があり楽しく見ることができた。
 上の写真は夫婦獅子舞

Jgp9n19d_s  福寿台の屋台
Tksxk94x_s  福寿台からくりの演技

2006年11月 9日 (木)

アンコールワット&ベトナム フォトストーリー

  10月30日~カンボジアのアンコールワットに行ってきた。幸いにも行ってる間は雨もなくスコールも一度もなかった。気温は34度と大変暑かった。日本を出るときには、少し風邪気味だったが、直ったようだ。アンコールワットはさすが世界遺産のベスト5に入るだけあって大変見応えがあり、感動の連続だった。建築様式、彫刻、仏像の大きさ、自然との調和等。いずれも石でできており、大きな石をどのようにして組み立てたか?不思議だ。今日は旅行の一部を掲載する。旅行記はこちらをどうぞ 

2006年9月25日 (月)

旅行打ち合わせ

 アンコールワット・アンコールトム等の旅行について催行されることが決定した。仲間6名で10月末から出発する計画だ。パスポートを持って仲間と打ち合わせをする。計画しているときが一番楽しい。申請書の書き方など一杯飲みながらワイワイガヤガヤ・ケンケンガクガクいろいろな意見が出る。もっさんが申込金を立て替えている。「さあ払って」と言うと「もうぼけているから、払ったように思う」などとからかう。周りで見ているとまるで漫才を聞いているようだ。ビザ取得のためパスポートを預け手続きを依頼した。smilesmile

2006年8月28日 (月)

霧ヶ峰 フォトストーリー

 霧ヶ峰のニッコウキスゲ賀美しかったのでフォトストーリーにした。

2006年7月26日 (水)

パスポート

 久しぶりの晴天。sunまだ、午前中だというのに肌をちくちく突き刺すような暑さだ。sun昼前にパスポートの申請に神戸へ行くことにした。今度も10年用だ。今回からはICチップが埋め込まれているそうである。どう違うのか尋ねると大きさは変わらないが、ICチップが入っている分すこし分厚くなっているとのことであった。顔写真も従来より大きいらしい。寸法を厳密に測っていた。1週間後に出来ているので取りに来るように言われ、手続きを済ませて、東○ハンズに不足している画材を買いに行く。暑い。sweat01暑い。sweat01とにかく暑い。sweat01早く涼しいところに行きたい。sunsweat01coldsweats02sunsweat01coldsweats02

2006年7月 7日 (金)

水分れ公園

Vbbr4ujz 友人宅のホタル狩りを満喫し、帰宅の途中、国領温泉に立ち寄り入湯するべく訪ねたが、11時からだと聞きあきらめ、水分れ公園に向かう。
 公園の入口にはいそ(やまへんに石)べ部神社が有り、近くに車を止めて公園を散策する。公園の奥の登山口には入口があり獣が下界におりてくるのを防止しているためこの入口の戸は閉めてくださいと書かれていた。
 地面にはウサギや鹿、リスなど分も多数落ちている。猪もでるのだろうと思った。
 ここ水分れの標高は最も低いところで95m。日本列島を縦断する中央分水界のうち一番低い所だそうだ。ここに降った雨は、一方は由良川を経て日本海に、もう一方は加古川を経て瀬戸内海に注いでいると説明されていた。

E8fckbfe_s 説明看板
Mh1riken_s 水分れ公園

田舎の風景

Nk53sdp3 朝5時頃大きな音がするので目が覚めた。北朝鮮のミサイルが発射されていたので、自衛隊がヘリを飛ばして警戒に当たっているのだと思い表に出ると、薬剤散布のヘリであった。近くにヘリポートがあり、行ってみる。松食い虫の退治のための薬剤散布だと言っていた。そういえばここは丹波の松茸が有名だ。「松が枯れたら大変なんだ。」と作業員は教えてくれた。帰り道近くにツバメの巣があった。親鳥がせっせと餌を運んでいるが、我々の姿を見ると近くで待機して巣に近づかない。少し離れるとさっと巣に近づき小鳥に餌を与える。畑の野菜や植木にカタツムリがいる。都会では見ることの出来ないのどかな風景だった。朝食時に薬剤散布の話をすると主は、丹波の松茸の話をして、「秋には松茸狩りをしよう。」と言うので「山持っているの。」と聞くと「ある。」と答える。みんなは賛成して次回来ることを楽しみにして解散。それぞれ家路に向かった。上の写真は薬剤散布のヘリコプター
F82_x2ot_s ツバメの巣
Zhajouv5_s 近くで見つけたカタツムリ

ホタル狩り

48sftaak  一昨日から丹波市の友人の家にホタル狩りに行く。朝からこちらは大雨。「本当に実行するのかなあ」と思っていたら電話有り。向こうは曇っているが雨は降っていないので、予定通り実行するという。7人が集まるので夕食はバーベキューパーティをすることになり、買い出しをもっさんとする。
 到着するとまわりには蛙、カタツムリなどと出会う。田舎だなあと思いながらみんなで夕食の支度。火をおこす者、食材を準備する者、場所を準備する者、それぞれが持ち場持ち場で働く。久しぶりにみんな童心に戻る。酒を酌み交わし旧交を温める。
 日が落ちて闇の世界。外灯もなく真っ暗闇だ。 前日、主は「ホタルがいなかったらいけないので20匹位を虫かごにとっておいた。」と言って見せる。青白くきらきらと輝く。
 主が「さあ!ホタルを見に行くか。」と言うので皆が行くことになった。源氏ホタルはいなかったがたくさんのホタルを見て楽しんだ。ホタルの写真は撮れなかったので割愛。蛙の写真を掲載。smilesmilesmilesmile

Mqmfexrk_s 田舎の風景

2006年4月21日 (金)

山菜つみとタケノコ堀

Ycparvsz  天気予報では、気温は低いが晴れると放送があり、今日こそは山菜つみとタケノコ堀をしょうと鳥取の友人が計画していた。宿を出るときは晴れていたが、コゴミやツクシ、蕗の薹などを取る場所に行くとあられが降ってきて、見ている間に地面が真っ白になる。気温が道路情報によると5℃であった。何とかコゴミだけを摘み、名残惜しそうに止め、友人の家に戻る。雨も小やみになり友人に作業服や長靴を借用し、友人の案内で竹林に入る。「今年はまだ猪に荒らされていないのできっと取れるだろう。」と友人は言っていた。私たち6人はタケノコ堀は生まれて初めての経験であり、みんな喜び勇んで山に入り探すが、容易にタケノコは見つからない。友人の指導で何とか見つかり、「あっ!ここにある。」「あっ!ここにもある。」あちらこちらで声がする。私は堀り役で次々と掘っていく。みんな、子供のようにはしゃぎながら探している。8人で2時間くらい探し掘った。腰や足がだるくなり「もう止めよう」と言うと待ってましたとばかりに衆議一決。たくさんの収穫をお土産にいただいて帰宅。奥様達は家に帰って大仕事。鳥取のお友達、計画して頂き、山には入らせてもらって、お土産までいただいて有り難う。高槻のお友達、家まで送って頂いて有り難う。姫路のお友達楽しい旅行有り難う。(上の写真はコゴミ取り)
Klczmwnp_s  竹林に入りタケノコを探す
Vsgiuxqx_s  タケノコの収穫

投入堂

59w73tef 昨日から鳥取の友人のお宅へ訪問。三朝温泉に行くことにした。
我が家には家内が外出するときは、必ずといっていいほど雨が降るというジンクスがある。昨日も朝から雨である。家内は「私1人と晴れの日7人との勝負だ。どちらが勝つかなあ。」とうそぶいている。
高速バスを使用して三宮から鳥取市河原まで行く。途中で別の友人と出会い再会を喜ぶ。全員が集まったので三朝温泉に向けて出発する。途中三徳山を見物する。以前テレビで見たことがあったし、鳥取の友人がこの建物を世界遺産に申請するようなことを検討していると言っていた。
  投入堂と言われているお堂は断崖の中腹に有り、どのようにして建立したのだろうかと不思議に思った。外気温度は9℃で三月に逆戻り、「寒い寒い」と言って車に戻り早く温泉につかろうと三朝温泉の旅館に向かった。
投入堂
  706年の昔役行者が法力で岩屋に投げ入れたというお堂でこの名前が付いている。標高520mのところに後部を岩屋に据え前面は断崖に向けて舞台造り、近づく道すらない垂直な崖に浮かぶとも建つとも表現しがたい美しい姿をしている。年輪年代測定結果平安時代後期の建築であることが、立証され神社本殿形式出この時代に遡れば全国で3棟しかなくここ三徳山に2棟がある。smilesmilesmile

2006年2月28日 (火)

紀美里町 かじか荘

Xpmlgtw3  26日、27日和歌山県海南市の美里温泉に行く。
朝から土砂降りの雨の中を西宮を発ち湾岸高速を一路和歌山に向かう。関西空港あたりから湾岸線に別れをつげて、阪和自動車道に入る。海南インターを出て国道370号線を東に貴志川に沿って登っていく。生石高原を右手に見ながら左右に揺られる。美里町の町に、はいるとシャッターが閉まった商店が並んでいる。「あれ!やっぱり不景気で店がつぶれたのかな。」と思った途中で今夜の当てを買う予定であったが結局買うことができなかった。13:00ごろ本日の宿「かじか荘」に到着する。
ここは、その昔若き武将、坂上田村麿呂が温浴したという透明の単純硫化水素泉で別名を美人湯として親しまれている。美容のほかにも、胃腸病、神経痛、糖尿病、皮膚病などに効能があるそうだ。貴志川のほとりにたたずむ山あいの静かな温泉だ。宿泊者は露天風呂と大浴場、サウナなどが利用できる。また日帰り入浴も本館の大浴場で利用できる。
チェックインは14:00なので本館の食堂で昼食を食べながら時間待ちをする。
時間が来たので新館(宿泊棟)に行きチェックインする。公共の宿と聞いてきたので設備が悪いのではないかという思いであったが、そうではなくて設備は十分整っていた。
7:00までは本館の温泉場を利用できるというので、期待して行ってみたがたいしたことはなかった。
招待状を持参していったので、あまり期待していなかったが、夕食は美里膳といって4725円の料理であった。チェックイン時に特別料理を注文したが、「美里膳でも十分ご満足頂けます。」と言うホテルの方の意見を尊重し注文を止めた。出てくる料理は前菜から手の込んだ細工が施されており見た目も美しいが本当においしい。烏賊で作った梅の花とききぬさやで作った鶯、ゴボウで作ったツクシ、牡蠣で作ったお多福豆など目を見張った。板長は京都の某有名料亭で修行を積んだと言っていた。
満足して、部屋に帰り、新館の温泉に行く。露天風呂もあり天気ならここからきれいな星が見えるのだろうと想像していた。
翌日は快晴、紀三井寺、粉川寺、根来寺を参拝し帰宅した。
桜はまだまだつぼみが堅かった。梅は咲いていた。

2006年2月24日 (金)

有馬の山荘

2pei87af 23日、24日会の親睦会に参加する。参加人数はゴルフ組
5名と、おとむさん&もっさんの7名であった。
おとむさんともっさんは、車で芦有道路を使用して芦屋川、お多福山、奥池を通過。途中の展望台で大阪方面を望むと大阪ドーム、弁天町の高層ビルが眼下に見える。もっさんが生協の抽選で当てた高級一眼レフデジカメの試し撮影を行う。
車を山荘に駐車後、時間があるのでロープウエイで六甲山上に行ってみようかと駅に行く。切符売り場のおばさんに話しかける。「いくらですか。」「往復1770円のところ今の時期は、500円に割引しています。」「シニヤ割引は無いのですか。」「ありません。」「じゃあ2枚お願いします。」と、もっさんが言って1000円を出すとおばさんは「おおきに」と言って切符を切ろうとする。おとむさんは「チョット待って!ゴンドラがきてからにしょうや。」おばさんは困った顔をしたのでもっさんが「やっぱり買うわ。」おばさんの顔が急に明るくなった。
  車内で乗務員と話をする。「このごろお客さんは多いの?」いや、さっぱりや特に震災以降はだめや。年間を通じて秋以外はお客さんは少ないです。」「500円で採算取れるの?」「赤字ですわ。」「経営は何処の会社ですか。」「神戸市の第三セクタですわ。六甲山には3つのロープウエイがあるがどれも赤字で、いずれ閉鎖に追い込まれるかもしれない。」「神戸空港ができて、予算もカットされるし、保守費用も出ない。6年ごとのロープの取り替えもままならない。」と言っていた。おとむさんは、ゴンドラに乗りながら心の中で大丈夫なの?落ちないかなあ?そういえば塗装も満足にされていないなあ?チョット心配になった。頂上へ行くと駐車場の鉄骨ははさびだらけ。天井からは、ぽたぽた水滴が落ちている。幽霊屋敷のようであった。神戸側の景色を見て地ビールを飲み満足して、山荘に帰った。sadsad